ブレトンウッズ体制とは?金とドルによる国際通貨制度の仕組みをわかりやすく解説

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(「ブレトンウッズ体制って何?」「金とドルの関係がよくわからない……」「1ドル=360円時代のことをもっと知りたい」とお悩みではありませんか。
ブレトンウッズ体制とは、1944年から1971年まで続いた国際通貨制度で、アメリカのドルを金と結びつけ、世界各国の通貨を安定させた仕組みを指します。戦後の日本で22年間維持された「1ドル=360円」の固定相場も、ブレトンウッズ体制によって定められたものでした。
本記事では、ブレトンウッズ体制の仕組みから崩壊の原因、現代経済への影響まで、金融・経済の初心者にもわかりやすく解説いたします。学校の授業や資格試験の学習、投資の基礎知識として役立てたい方は、ぜひ最後までご覧ください。

Contents
- ブレトンウッズ体制とは簡単に説明すると
- ブレトンウッズ体制のメリットとデメリット
- ブレトンウッズ体制が作られた背景
- ケインズ案とホワイト案の対立
- ブレトンウッズ体制の具体的な内容
- ブレトンウッズ体制の崩壊とその後とは
- ブレトンウッズ体制と金投資の関係
- ブレトンウッズ体制に関するよくある質問
- Q. ブレトンウッズ体制を一言でいうと何ですか?
- Q. ブレトンウッズ体制はなぜ作られたのですか?
- Q. ブレトンウッズという名前の由来は何ですか?
- Q. 金ドル本位制とは何ですか?
- Q. なぜアメリカのドルが基軸通貨に選ばれたのですか?
- Q. 1ドル=360円はどうやって決まったのですか?
- Q. 固定相場制と変動相場制の違いは何ですか?
- Q. IMF(国際通貨基金)は何のために作られたのですか?
- Q. 世界銀行とIMFの違いは何ですか?
- Q. トリフィンのジレンマとは何ですか?
- Q. ニクソンショックとは何ですか?
- Q. ブレトンウッズ体制はなぜ崩壊したのですか?
- Q. スミソニアン協定とは何ですか?
- Q. 変動相場制に移行して何が変わりましたか?
- Q. ブレトンウッズ体制は日本経済にどんな影響を与えましたか?
- Q. 現在の国際通貨制度はどうなっていますか?
- Q. ブレトンウッズ体制と金本位制の違いは何ですか?
- Q. ブレトンウッズ体制の教訓は何ですか?
- Q. ブレトンウッズ体制について学ぶメリットは何ですか?
- Q. ブレトンウッズ体制は復活する可能性がありますか?
- まとめ
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ブレトンウッズ体制とは簡単に説明すると

ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦後の国際経済を安定させるために作られた通貨制度です。
金とドルを軸にした固定相場制により、各国の通貨価値を安定させ、国際貿易の発展を促進することを目的としています。
ブレトンウッズ体制の基本的な仕組み
ブレトンウッズ体制の最大の特徴は、アメリカのドルを国際通貨の中心に据えた点にあります。各国の通貨はドルに対して固定された為替レートで交換される仕組みでした。
| 通貨 | 対ドル為替レート | 設定年 |
| 日本円 | 1ドル=360円 | 1949年 |
| イギリスポンド | 1ポンド=2.80ドル | 1949年 |
| 西ドイツマルク | 1ドル=4.20マルク | 1949年 |
| フランスフラン | 1ドル=350フラン | 1949年 |
上記のように主要国の通貨価値は固定されており、各国の中央銀行が為替介入を行うことでレートを維持していました。
ブレトンウッズ体制では、各国の中央銀行が為替レートを上下1%以内に維持する義務を負っていました。自国通貨が下落しそうになった場合は、中央銀行がドルを売却して自国通貨を買い支える仕組みです。IMF(国際通貨基金)による融資機能と各国中央銀行の為替介入が連動することで、戦後の国際経済は安定を保つことができました。
また、国際収支が赤字になった国に対しては、IMFが外貨を貸し出すことで、一時的な資金不足を解消する仕組みも整えられていました。
参考:IMF
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金ドル本位制の意味をわかりやすく解説
ブレトンウッズ体制の核心は「金ドル本位制」と呼ばれる仕組みにありました。
金ドル本位制では、アメリカのドルだけが金と交換できる唯一の通貨として位置づけられていたのです。具体的には、1オンス(約31.1グラム)の金を35ドルで交換することが保証されていました。
日本円やイギリスポンドなど他国の通貨は金と直接交換できませんでしたが、ドルを経由して間接的に金価値と連動する形です。
各国の中央銀行が保有するドルは、いつでも金に交換できる「金の代替物」として機能していました。金との交換できる保証がドルへの信頼を支え、ドルは世界中で通用する国際通貨としての地位を確立したのです。
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金ドル本位制が成立した背景には、1944年当時のアメリカが世界の金保有量の約60〜70%を占めていたという事実があります。圧倒的な金保有量を背景に、アメリカはドルと金の交換を保証することができました。

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固定相場制と1ドル=360円の関係
日本人にとって最もなじみ深いブレトンウッズ体制の遺産は、「1ドル=360円」という固定為替レートです。この数字は1949年に設定され、1971年まで22年間も維持されました。
360円という数字の由来には諸説ありますが、1949年当時の日本の経済力や物価水準、輸出競争力を総合的に考慮してGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が決定したとされています。
1ドル=360円の固定相場制では、為替変動リスクがなかったため、日本企業は安心して長期的な輸出入計画を策定できました。
日本の高度経済成長期において、1ドル=360円という安定した為替レートは、輸出産業の発展に大きく貢献しました。自動車や電化製品などの輸出価格を長期的に計画でき、着実に国際競争力を高めることができたのです。
しかし、この固定相場制には問題もありました。経済成長により各国の経済力に差が生じても、為替レートは変わらないため、次第に実態と乖離していったのです。
特に日本やドイツのように急速に経済成長を遂げた国の通貨は、実際の価値よりも安く設定されたままとなり、貿易の不均衡を生む原因となっていきました。
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ブレトンウッズ体制のメリットとデメリット

ブレトンウッズ体制には、為替レートの安定による国際貿易の促進という大きな利点がありました。一方で、固定相場制ゆえの構造的な問題点も抱えていたのが実情です。ここでは、ブレトンウッズ体制がもたらした恩恵と課題を整理して解説いたします。
ブレトンウッズ体制の3つのメリット
ブレトンウッズ体制がもたらした最大のメリットは、為替リスクの排除による国際貿易の飛躍的な拡大でした。
固定相場制の下では、輸出企業も輸入企業も将来の為替変動を心配する必要がありませんでした。たとえば日本の自動車メーカーは、1ドル=360円という固定レートを前提に長期的な輸出戦略を立てることができ、価格競争力の向上に集中できたのです。
2つ目のメリットとして、各国政府による金融政策の協調が進んだ点が挙げられます。IMF(国際通貨基金)を通じた国際的な監視体制により、一国だけが自国通貨を切り下げて輸出を有利にする「近隣窮乏化政策」を防止できました。
3つ目は、戦後復興の加速に貢献した点です。為替レートが安定していたことで、復興途上にあった日本やヨーロッパ諸国は、安心して海外から資材や技術を輸入できました。日本の高度経済成長期(1955〜1973年)は、ブレトンウッズ体制の安定性に支えられて実現したともいえるでしょう。
ブレトンウッズ体制が抱えていた問題点
ブレトンウッズ体制には、「トリフィンのジレンマ」と呼ばれる構造的な矛盾が存在していました。
トリフィンのジレンマとは、アメリカの経済学者ロバート・トリフィンが1960年に指摘した問題です。ドルを国際通貨として世界中に供給し続けると、やがてアメリカの金準備量を超えてしまい、ドルの信用が失われるというジレンマを意味します。世界経済が成長すればするほど、より多くのドルが必要になりますが、金の量は限られているため、ドルと金の交換を保証し続けることが困難になっていきました。
固定相場制のもう一つの問題は、経済実態との乖離が生じやすい点です。日本や西ドイツのように急速に経済成長を遂げた国では、実力に比べて通貨が割安なまま据え置かれ、貿易黒字が拡大し続けました。逆にアメリカは、ベトナム戦争の戦費や社会保障支出の増大により、ドルの信認が徐々に低下していったのです。
ブレトンウッズ体制が作られた背景

ブレトンウッズ体制は、なぜ、どのようにして生まれたのでしょうか。
その背景には、二度の世界大戦を経験した国際社会の切実な願いがありました。戦争の一因となった経済的混乱を繰り返さないための、新しい国際秩序づくりが求められていたのです。
第二次世界大戦後の世界経済の課題
第二次世界大戦が終結に向かう中、連合国の指導者たちは戦後の世界経済をどう立て直すかという大きな課題に直面していました。
1930年代の世界恐慌では、各国が自国通貨を競って切り下げる「近隣窮乏化政策」により、国際貿易が崩壊し、それが戦争への道を開いた一因があるという反省があったためです。
戦争で疲弊したヨーロッパ諸国は、復興のために大量の物資を必要としていましたが、それを購入する外貨が不足していました。
また、各国の通貨価値が不安定では、国際貿易の再開も困難だったため、安定した国際通貨制度の確立は、世界経済の復興にとって不可欠な条件だったのです。
戦前の金本位制への復帰も現実的ではありませんでした。第二次世界大戦により各国の金保有量は大きく変動し、ヨーロッパ諸国の金準備は激減していたためです。
こういった課題があり、新しい時代には新しい通貨制度が必要だったと考えられたのでしょう。
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ケインズ案とホワイト案の対立

ブレトンウッズ体制の設計をめぐっては、イギリスのケインズ案とアメリカのホワイト案という2つの構想が対立しました。最終的にホワイト案が採用されたことで、ドルを基軸とする通貨体制が誕生したのです。
イギリスのケインズ案とは
ケインズ案とは、イギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズが1941年に提唱した国際通貨制度の構想です。
ケインズ案の核心は、「バンコール」という新しい国際通貨の創設にありました。バンコールは特定の国の通貨ではなく、国際清算同盟という超国家的機関が管理する国際通貨として機能する予定でした。各国はバンコールを介して国際決済を行い、貿易赤字国だけでなく黒字国にも調整義務を課すという点が画期的だったのです。
ケインズは第一次世界大戦後のドイツへの過酷な賠償請求が世界恐慌と第二次世界大戦の遠因になったと考えており、一国に負担が集中しない「対称的な」制度を目指していました。しかし、当時すでに世界最大の債権国であり、金保有量でも圧倒的な優位にあったアメリカにとって、ケインズ案は自国の利益を損なう構想と映りました。
アメリカのホワイト案が採用された理由
ホワイト案とは、アメリカ財務省のハリー・デクスター・ホワイトが起草した国際通貨制度の構想で、1943年に公表されました。
ホワイト案の特徴は、ドルを国際通貨の中心に据える点にあります。各国は自国通貨とドルの交換比率を固定し、ドルだけが金との交換を保証されるという「金ドル本位制」の原型がホワイト案には含まれていました。また、国際通貨基金(IMF)を設立して加盟国の出資金をプールし、国際収支が赤字になった国へ融資する仕組みも提案されていたのです。
最終的にホワイト案が採用された理由は、アメリカの圧倒的な経済力にありました。1944年当時、アメリカは世界の金準備の約3分の2を保有しており、イギリスは戦費調達のためにアメリカからの借款に依存していました。戦後復興にアメリカの資金援助が不可欠だったヨーロッパ諸国にとって、アメリカの意向に逆らうことは現実的に不可能だったのです。
ホワイト案が採用された理由は、アメリカの圧倒的な経済力
ブレトンウッズ体制の具体的な内容

1944年のブレトンウッズ会議では、通貨制度の枠組みに加えて、IMFと世界銀行という2つの国際機関の設立も決定されました。
IMFが短期的な国際収支問題への対応を、世界銀行が長期的な経済開発支援を担う形で、ブレトンウッズ体制を二本柱で支える構造が作られました。
ブレトンウッズ会議の開催と参加国
1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズで、連合国の代表が集まり戦後の国際通貨制度を話し合う会議が開催されました。正式名称は「連合国通貨金融会議」ですが、開催地の名前から「ブレトンウッズ会議」と呼ばれています。
| 項目 | 内容 |
| 開催時期 | 1944年7月1日〜22日 |
| 開催場所 | アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトンウッズ(マウント・ワシントン・ホテル) |
| 参加国数 | 44カ国 |
| 主要参加国 | アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランス(亡命政府)など |
| 不参加国 | 日本、ドイツ(敵国のため) |
| 主な決定事項 | IMFと世界銀行の設立、金ドル本位制の採用 |
日本とドイツはブレトンウッズ会議に参加できませんでしたが、戦後はブレトンウッズ体制に組み込まれ、固定相場制のもとで経済復興を遂げていきました。
IMF(国際通貨基金)の役割
IMF(International Monetary Fund)は、ブレトンウッズ体制の要となる機関として1945年12月に発足し、1947年3月に業務を開始しました。その主要な目的は、加盟国の国際収支の安定を図り、為替の安定を維持することにあります。
IMFの最も重要な機能は、国際収支が赤字になった国への融資です。一時的な外貨不足に陥った国は、IMFから外貨を借り入れることで、為替レートを維持しながら必要な輸入を続けることができました。融資には条件が付けられ、財政赤字の削減などの経済政策の実施が求められます。
また、IMFは各国の経済状況を監視し、必要に応じて政策提言を行う役割も担っています。定期的な協議を通じて、各国の経済政策が国際的な安定を損なわないようチェックする機能を果たしてきました。現在もIMFは存続し、国際金融の安定に重要な役割を果たし続けています。
世界銀行の設立と目的
世界銀行(正式名称:国際復興開発銀行)も、ブレトンウッズ会議で設立が決定された重要な機関です。
当初の目的は、戦争で破壊されたヨーロッパの復興資金を提供することでしたが、その後は発展途上国の開発支援へと重点を移していきました。
世界銀行の特徴は、長期的な開発プロジェクトに低利で融資を行うことです。道路、港湾、発電所などのインフラ整備や、教育、保健医療などの社会開発プロジェクトに資金を提供してきました。
融資の原資は、加盟国の出資金と国際金融市場での債券発行によって調達されています。IMFが短期的な国際収支の問題に対応するのに対し、世界銀行は長期的な経済開発を支援するという役割分担がなされていました。
IMFと世界銀行が協力して短期的な金融安定と長期的な経済発展を両立させる点が、ブレトンウッズ体制の大きな特徴でした。
参考:世界銀行
各国通貨とドルの交換ルール
ブレトンウッズ体制では、各国通貨とドルの交換について明確なルールが定められました。
各国は自国通貨の対ドル為替レートを宣言し、その水準を上下1%以内に維持する義務を負っていました。この狭い変動幅を「為替平価」と呼び、各国の中央銀行が市場介入により維持していたのです。
為替レートの変更は原則として認められていませんでしたが、「基礎的不均衡」がある場合には、IMFの承認を得て変更することができました。
※基礎的不均衡とは、国際収支の赤字が構造的で長期的なものである場合を指します。
実際の取引では、各国の中央銀行がドルの売買を行うことで為替レートを安定させました。民間の銀行や企業は、中央銀行が保証する固定レートで外貨を交換できたため、為替リスクを心配することなく国際取引を行うことができたのです。
この仕組みにより、戦後の国際貿易は急速に拡大していきました。
ブレトンウッズ体制の崩壊とその後とは

1944年に始まったブレトンウッズ体制は、約27年間続いた後、1971年に突然崩壊しました。その引き金となったのが「ニクソンショック」です。
なぜこの体制は崩壊したのか、そしてその後の世界経済はどう変化したのかを見ていきましょう。
ニクソンショックとは何か
1971年8月15日、アメリカのリチャード・ニクソン大統領はテレビ演説で、ドルと金の交換を一時的に停止すると発表しました。この発表は世界中に衝撃を与え、「ニクソンショック」と呼ばれるようになりました。
ニクソン大統領は、この措置を「一時的」なものと説明しましたが、実際にはドルと金の交換が再開されることはありませんでした。
金1オンス=35ドルという交換レートを維持できなくなったアメリカは、事実上、金ドル本位制を放棄したのです。
ニクソン大統領による金交換停止の決定は、事前の国際協議なしに一方的に発表されたため、日本やヨーロッパ諸国は対応に追われることになりました。
日本では月曜日の朝にこのニュースが伝わり、ドルの価値が不安定になることで固定相場制の維持も困難になることが明らかだったため、東京証券取引所は大混乱に大混乱に陥ります。
ブレトンウッズ体制の崩壊は、世界経済の勢力図を塗り替える契機となりました。固定相場制という制約から解放された日本経済は、1980年代に向けて飛躍的な成長を遂げることになります。この歴史的転換点が、現代の国際経済システムの礎となっているのです。
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体制崩壊の原因と経緯
ブレトンウッズ体制が崩壊した根本的な原因は、アメリカの経済力の相対的な低下にあると考えられています。
1960年代に入ると、日本や西ドイツなどが急速に経済成長を遂げ、アメリカの圧倒的な優位性は失われていきました。また、ベトナム戦争の戦費や「偉大な社会」政策による財政支出の増大も、アメリカ経済に負担をかけていたのです。
アメリカの国際収支は慢性的な赤字となり、海外に流出したドルの量は、アメリカが保有する金の価値を大きく上回るようになりました。
このような状況では、もし各国が一斉にドルを金に交換しようとすれば、アメリカは対応できません。実際、フランスのドゴール大統領は1965年から積極的にドルを金に交換し始め、他国もこれに追随する動きを見せていました。
変動相場制への移行
ニクソンショック後、各国は新たな国際通貨体制を模索しました。1971年12月のスミソニアン協定では、ドルの切り下げと変動幅の拡大(上下2.25%)で合意しましたが、この体制も長続きしませんでした。
1973年には主要国が相次いで変動相場制に移行し、ブレトンウッズ体制は完全に終焉を迎えたのです。
変動相場制では、通貨の価値は市場の需要と供給によって決まります。政府や中央銀行の介入は限定的となり、為替レートは日々変動するようになりました。
これにより、企業や投資家は為替リスクと向き合う必要が生じ、先物取引やオプションなどのリスクヘッジ手段が発達していきます。
日本円も1973年2月から変動相場制に移行し、1ドル=360円の時代は終わりを告げました。
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ブレトンウッズ体制と金投資の関係

ブレトンウッズ体制の崩壊は、金の価値と投資環境を大きく変える転換点となりました。1971年のニクソンショック以前、金価格は1オンス=35ドルに固定されていましたが、変動相場制への移行後、金は投資資産として自由に取引される時代を迎えたのです。
ブレトンウッズ体制下では、金はあくまで通貨価値を裏付ける「アンカー(錨)」であり、一般の投資家が売買する対象ではありませんでした。各国の中央銀行がドルを金に交換する権利を持っていましたが、民間人が金地金を自由に保有することは、多くの国で制限されていたのです。
ニクソンショック後、金価格は市場の需給によって決まるようになり、1980年には1オンス=850ドル、2024年には2,700ドルを超える水準まで上昇しています。ブレトンウッズ体制の崩壊から50年以上が経過した現在、金は株式や債券と並ぶ主要な投資資産として認知されるようになりました。
現在の金価格高騰の背景には、変動相場制のもとで進んだ通貨価値の不安定化があります。各国の中央銀行による金融緩和や財政赤字の拡大により、法定通貨(紙幣)の価値が目減りするリスクが意識される中、「実物資産」としての金への需要が世界的に高まっています。ブレトンウッズ体制を学ぶことは、現代の金投資を理解するための土台にもなるのです。
ブレトンウッズ体制に関するよくある質問

ブレトンウッズ体制は第二次世界大戦後の国際経済を支えた通貨制度ですが、専門用語が多く理解しにくい面もあります。ここでは、ブレトンウッズ体制についてよく寄せられる疑問に、Q&A形式でお答えいたします。
Q. ブレトンウッズ体制を一言でいうと何ですか?
A.
ブレトンウッズ体制とは、アメリカのドルを金と結びつけ、各国通貨をドルに固定した国際通貨制度です。1944年に設立が合意され、1971年まで続きました。
具体的には、金1オンス(約31.1グラム)を35ドルで交換することをアメリカが保証し、他の国々は自国通貨とドルの為替レートを固定する仕組みでした。日本円は1ドル=360円、イギリスポンドは1ポンド=2.80ドルというように、為替レートが国際的に決められていたのです。
Q. ブレトンウッズ体制はなぜ作られたのですか?
A.
ブレトンウッズ体制は、1930年代の世界恐慌と第二次世界大戦への反省から生まれました。世界恐慌時、各国が自国通貨を競って切り下げる「近隣窮乏化政策」をとった結果、国際貿易は崩壊し、経済的対立が戦争の一因になったと考えられたのです。
戦後の世界では「二度と同じ過ちを繰り返さない」という決意のもと、為替レートを安定させ、自由貿易を促進する国際的な枠組みが求められました。ブレトンウッズ体制は、連合国44カ国の合意によって誕生した新しい国際経済秩序だったのです。
Q. ブレトンウッズという名前の由来は何ですか?
A.
ブレトンウッズという名称は、1944年7月に会議が開催されたアメリカ・ニューハンプシャー州の地名に由来します。マウント・ワシントン・ホテルという山岳リゾートに連合国の代表が集まり、戦後の国際通貨制度について話し合いました。
正式名称は「連合国通貨金融会議」ですが、開催地の名前をとって「ブレトンウッズ会議」と呼ばれるようになり、会議で決まった通貨制度も「ブレトンウッズ体制」と呼ばれるようになったのです。
Q. 金ドル本位制とは何ですか?
A.
金ドル本位制とは、ドルだけが金と交換でき、他の国の通貨はドルを通じて間接的に金とつながる仕組みです。ブレトンウッズ体制の核心部分にあたります。
戦前の金本位制では各国の通貨が直接金と交換できましたが、金ドル本位制ではアメリカのドルのみが金との交換を保証されました。各国の中央銀行は保有するドルをアメリカ財務省に持ち込めば、1オンス=35ドルのレートで金に交換できたのです。
Q. なぜアメリカのドルが基軸通貨に選ばれたのですか?
A.
ドルが基軸通貨に選ばれた理由は、第二次世界大戦後のアメリカが圧倒的な経済力と金保有量を誇っていたからです。1944年当時、アメリカは世界の金準備の過半を保有していました。
ヨーロッパ諸国は戦争で国土が荒廃し、金準備も激減していたため、独自の通貨で国際決済を行う力がありませんでした。アメリカだけが「ドルと金の交換」を保証できる経済力を持っていたため、ドルを中心とする国際通貨制度が構築されたのです。
Q. 1ドル=360円はどうやって決まったのですか?
A.
1ドル=360円という為替レートは、1949年にGHQの指令によって設定されました。ドッジ・ラインと呼ばれる経済安定政策の一環として決められたものです。
360円という数字の根拠については諸説ありますが、当時の日本の物価水準や輸出競争力を考慮して算出されたとされています。「円が360度で一周するから」という俗説もありますが、正確な経緯は明らかになっていません。
Q. 固定相場制と変動相場制の違いは何ですか?
A.
固定相場制は政府や中央銀行が為替レートを一定に保つ制度で、変動相場制は市場の需要と供給によって為替レートが決まる制度です。ブレトンウッズ体制は固定相場制でした。
固定相場制のメリットは為替リスクがなく貿易計画が立てやすい点ですが、経済実態と為替レートが乖離しやすいデメリットがあります。変動相場制は経済の実態を反映しやすい反面、為替変動リスクへの対応が必要になります。
Q. IMF(国際通貨基金)は何のために作られたのですか?
A.
IMFはブレトンウッズ体制を支えるために設立された国際機関で、主に為替レートの安定と国際収支の調整を目的としています。1945年12月に発足し、1947年3月から業務を開始しました。
IMFの役割は、国際収支が赤字になった国への融資(一時的な外貨不足の解消)、各国の経済政策の監視と助言、為替レート変更の承認などです。現在もIMFは存続しており、国際金融危機の際には加盟国への支援を行っています。
Q. 世界銀行とIMFの違いは何ですか?
A.
IMFは短期的な国際収支の問題に対応する機関で、世界銀行は長期的な経済開発を支援する機関です。両者はブレトンウッズ会議で設立が決定されました。
IMFは短期的な国際収支の問題に対応する機関で、世界銀行は長期的な経済開発を支援する機関です。両者はブレトンウッズ会議で設立が決定されました。
IMFは為替レートの安定や一時的な資金不足への融資を担当し、世界銀行は道路・港湾・発電所などのインフラ整備や教育・医療分野への長期融資を担当しています。役割は異なりますが、両機関が協力することで短期的な金融安定と長期的な経済発展の両立を目指しています。
Q. トリフィンのジレンマとは何ですか?
A.
トリフィンのジレンマとは、基軸通貨国が世界に通貨を供給し続けると、やがて通貨の信認が失われるという構造的矛盾です。アメリカの経済学者ロバート・トリフィンが1960年に指摘した問題です。
世界経済の成長に伴い、国際取引に必要なドルの量は増加します。アメリカがドルを供給し続けると、アメリカの金準備を上回るドルが世界に流通することになり、「ドルはいつでも
Q. ニクソンショックとは何ですか?
A.
ニクソンショックとは、1971年8月15日にアメリカのニクソン大統領がドルと金の交換停止を発表した出来事です。ブレトンウッズ体制の崩壊を決定づけた歴史的転換点でした。
ニクソン大統領は「一時的な措置」と説明しましたが、ドルと金の交換が再開されることはありませんでした。金1オンス=35ドルという交換レートを維持できなくなったアメリカは、事実上、金ドル本位制を放棄したのです。
Q. ブレトンウッズ体制はなぜ崩壊したのですか?
A.
ブレトンウッズ体制が崩壊した根本的な原因は、アメリカの経済力の相対的な低下です。1960年代に入ると、日本や西ドイツが急成長し、アメリカの優位性が薄れていきました。
ベトナム戦争の戦費や国内の社会保障支出の増大により、アメリカの国際収支は慢性的な赤字に陥りました。海外に流出したドルの量がアメリカの金保有量を大きく上回り、ドルと金の交換を維持することが不可能になったのです。
Q. スミソニアン協定とは何ですか?
A.
スミソニアン協定とは、ニクソンショック後の1971年12月にアメリカのスミソニアン博物館で結ばれた国際合意です。ドルの切り下げと為替変動幅の拡大(上下2.25%)が決められました。
スミソニアン協定はブレトンウッズ体制を延命させる試みでしたが、1973年には主要国が相次いで変動相場制に移行しました。スミソニアン体制はわずか1年余りで崩壊し、固定相場制の時代は完全に終わりを告げたのです。
Q. 変動相場制に移行して何が変わりましたか?
A.
変動相場制への移行により、為替レートは市場の需要と供給によって日々変動するようになりました。政府による為替介入は限定的となり、企業や投資家は為替リスクへの対応を迫られるようになったのです。
日本円は1973年2月に変動相場制へ移行し、1ドル=360円の時代が終わりました。為替リスクに備えるため、先物取引やオプション取引などの金融商品が発達し、現代の外国為替市場の基盤が形成されていきました。
Q. ブレトンウッズ体制は日本経済にどんな影響を与えましたか?
A.
ブレトンウッズ体制は日本の高度経済成長を支えた大きな要因の一つです。1ドル=360円という固定相場のもと、日本の輸出産業は安定した為替環境で国際競争力を高めることができました。
自動車や電化製品などの輸出価格を長期的に計画でき、日本企業は品質向上とコスト削減に集中できたのです。1955年から1973年までの約20年間、日本経済は年平均10%前後という驚異的な成長率を記録しました。
Q. 現在の国際通貨制度はどうなっていますか?
A.
現在の国際通貨制度は「管理変動相場制」と呼ばれ、基本的には市場の需給で為替レートが決まりますが、各国政府が必要に応じて為替介入を行う体制です。ブレトンウッズ体制のような固定相場制ではありません。
ドルは依然として世界の基軸通貨としての地位を保っていますが、ユーロや人民元など他の通貨の存在感も高まっています。IMFや世界銀行はブレトンウッズ会議で設立された機関ですが、現在も国際金融の安定に貢献し続けています。
Q. ブレトンウッズ体制と金本位制の違いは何ですか?
A.
金本位制は各国の通貨が直接金と交換できる制度ですが、ブレトンウッズ体制ではドルのみが金と交換でき、他の通貨はドルを通じて間接的に金とつながっていました。
19世紀後半から第一次世界大戦まで続いた古典的な金本位制では、各国が自国通貨と金の交換を保証していました。しかし戦争や恐慌で金準備が流出した国が多く、戦後は金を直接使う制度への復帰が困難だったのです。
Q. ブレトンウッズ体制の教訓は何ですか?
A.
ブレトンウッズ体制から得られる教訓は、国際通貨制度には「アンカー(錨)」が必要だということ、そして固定相場制には限界があるという2点です。
ブレトンウッズ体制は金とドルをアンカーとして為替を安定させましたが、アメリカ一国に依存する構造は持続可能ではありませんでした。国際経済のルール作りには複数の国の協調が不可欠であり、一国の負担に頼りすぎる制度は長続きしないという教訓が残されています。
Q. ブレトンウッズ体制について学ぶメリットは何ですか?
A.
ブレトンウッズ体制を学ぶメリットは、現代の国際金融や為替の仕組みを理解する土台が身につく点にあります。IMFや世界銀行の役割、基軸通貨の意味、固定相場制と変動相場制の違いなど、経済ニュースを読み解くための基礎知識が得られます。
金投資に興味がある方にとっては、金価格がなぜ変動するのか、金と通貨の関係はどう変化してきたのかを理解する手がかりにもなるでしょう。歴史を学ぶことは、未来の経済変動に備えるための準備でもあります。
Q. ブレトンウッズ体制は復活する可能性がありますか?
A.
ブレトンウッズ体制がそのまま復活する可能性は低いと考えられています。金の生産量には限りがあり、現代の世界経済の規模を支えるには金の量が圧倒的に不足しているからです。
ただし、ドル一極体制への不安から「新しいブレトンウッズ」を模索する議論は続いています。デジタル通貨の登場や中国経済の台頭により、国際通貨制度のあり方は今後も変化していく可能性があります。ブレトンウッズ体制の経験は、将来の制度設計においても参考にされるでしょう。
まとめ
ブレトンウッズ体制は、第二次世界大戦後の国際経済を安定させるために作られた通貨制度でした。アメリカのドルを金と結びつけ、各国通貨をドルに固定することで、安定した国際取引を可能にしました。日本の「1ドル=360円」という固定相場も、この体制の下で22年間維持されたものです。
しかし、アメリカの経済力の相対的低下と、各国経済の成長により、この体制は次第に維持困難となっていきました。1971年のニクソンショックにより金ドル本位制は崩壊し、その後世界は変動相場制へと移行していったのです。
ブレトンウッズ体制は、約27年という比較的短い期間で終わりましたが、戦後の世界経済の復興と成長に大きく貢献しました。また、IMFと世界銀行という国際機関は現在も活動を続け、国際金融の安定化に重要な役割を果たしています。
ブレトンウッズ体制の経験は、今後の国際通貨制度を考える上でも、貴重な教訓となるでしょう。
「おたからや」での「金」の参考買取価格
「おたからや」での「金」の参考買取価格は下記の通りです。
2026年01月28日14:00更新
今日の金1gあたりの買取価格相場表
| 金のレート(1gあたり) | ||
|---|---|---|
| インゴット(金)28,226円 +798円 |
24金(K24・純金)28,000円 +791円 |
23金(K23)26,928円 +762円 |
| 22金(K22)25,742円 +728円 |
21.6金(K21.6)25,121円 +710円 |
20金(K20)22,976円 +650円 |
| 18金(K18)21,141円 +597円 |
14金(K14)16,371円 +463円 |
12金(K12)12,702円 +359円 |
| 10金(K10)11,347円 +321円 |
9金(K9)10,190円 +288円 |
8金(K8)7,565円 +214円 |
| 5金(K5)3,669円 +103円 |
||
※上記の買取価格はあくまで参考価格であり、市場の動向、
付属品の有無などによって実際の査定額が変動する場合があります。
金は世界情勢や為替の影響を受けながらも、長期的には安定した資産として高い需要を保ち続ける貴金属です。インゴットやコインはもちろん、刻印のないチェーンや折れたアクセサリーでも純度と重量が確かであれば確かな価値があります。
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ご自宅に眠っているインゴットやジュエリーの切れ端などがございましたら、付属品の有無にかかわらずまずは無料査定だけでもお気軽にご利用ください。
- おたからや査定員のコメント
金価格が史上高値圏にある今、インゴットやジュエリーを現金化する好機が訪れています。自宅で比重を測るだけでは誤差が残るため、X線分析器を備えた買取店で鑑定を受けることで、メッキや金張りとの混同を回避し、正味の評価を引き出せます。刻印のないチェーンや破損したアクセサリーでも、純度が判定できれば地金として確かな価値がありますから、状態にかかわらずそのまま持ち込むのが得策です。付属証明書や購入時のレシートが残っていれば信頼性が高まり、スムーズな高額成約につながります。

金の買取なら「おたからや」
金製品を売却するなら、全国約1,630店舗以上を展開する「おたからや」へご相談ください。ブレトンウッズ体制の崩壊以降、金は自由に売買できる投資資産となり、2024年には史上最高値を更新するなど価格高騰が続いています。ご自宅に眠っている金製品を現金化する好機が訪れているのです。
「おたからや」では、インゴットや金貨、喜平ネックレスから刻印の薄れたリングや片方だけのピアスまで、あらゆる金製品を専門の査定士がその場で鑑定いたします。最新鋭のX線分析器を使用して純度を正確に測定し、当日の国際金相場を反映した公正な価格をご提示します。メッキ品や金張りとの判別も含め、一点ずつ丁寧に査定いたしますので、刻印がない製品や破損したアクセサリーでもお気軽にお持ちください。
世界51カ国との取引実績を活かし、国内だけでなく海外市場の動向も踏まえた高価買取を実現しています。店頭買取のほか、出張買取にも対応しており、出張料・査定料・キャンセ金相場が歴史的高値圏にある今、大切にしてきた金製品を納得のいく価格で手放したい方は、確かな実績と信頼を誇る「おたからや」へぜひ無料査定をご依頼ください。
※本記事は、おたからや広報部の認可を受けて公開しております。)
おたからやの金買取
査定員の紹介
伊東 査定員
-
趣味
ショッピング
-
好きな言葉
有言実行
-
好きなブランド
ハリーウィンストン
-
過去の買取品例
おりん、インゴット
初めまして。査定員の伊東と申します。 おたからやでは金の買取をする際に、今日の金の1gの買取相場を基に、デザイン性などをプラスで評価して高価買取を行っております。過去に1万点以上の査定をさせていただきましたが、とても多くのお客様に想像以上の金額になったと喜んでいただきました。また、おたからやでは、すべての店舗に比重計を完備しているため、金の含有量を正確に測定することができます。 金額はもちろんのこと、接客も最高のおもてなしができるように心がけております。私共はお品物だけではなくお客様一人ひとりの思いに寄り添い満足して帰っていただけるように丁寧な説明を致します。誠心誠意対応させていただきますので、是非おたからやのご利用をお待ちしております。
その他の査定員紹介はこちら金を高く売るためのコツは、「金の価格が高いときに売ること」と「高値で買い取ってくれる専門店に売ること」です。金の価格は現在非常に高騰しているため、売却にはベストなタイミングといえます。
金の高価買取はおたからやにお任せください。
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