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トランスヴァール共和国とは?歴史やまつわる製品の価値まで解説

トランスヴァール共和国とは?歴史やまつわる製品の価値まで解説

※下記の画像は全てイメージです

トランスヴァール共和国は、19世紀後半の南部アフリカに存在した国家です。豊富な金の埋蔵量から世界的に注目を集め、大英帝国との激しい対立を招きました。

その歴史的経緯や、発行された金貨・切手には、多くのドラマと価値が秘められています。

本記事では、トランスヴァール共和国の歴史背景から、代表的な金貨・切手の種類と特徴、そしてそれらの価値の見分け方について詳しく解説します。

トランスヴァール共和国とは?歴史やまつわる製品の価値まで解説

Contents

トランスヴァール共和国とは

地図

トランスヴァール共和国は、南アフリカ内陸部でブール人(ボーア人)が建てた国です。

なお、ブール人はオランダ人の子孫です。イギリスによる支配から逃れるための「グレート・トレック(大移動)」の末に、ヴァール川以北の地に独立国を築きました。

1852年のサンドリバー条約で事実上の独立を承認され、首都をプレトリアとして国家を運営しますが、1902年に第二次ボーア戦争に敗れイギリスに併合されました。

その後は英領トランスヴァール植民地を経て、1910年に成立した南アフリカ連邦の一州となっています。

金を求めた大英帝国の被害を被る

19世紀、大英帝国は世界最大の植民地帝国として君臨。そして、自国の経済的優位性確保のために金本位制を導入しました。

金本位制では通貨の信用を裏付けるため大量の金が必要となるため、金産出地の支配は国家戦略上重要でした。トランスヴァール共和国は、1850年代に建国された後に金鉱の存在が知られたことで、金を求めるイギリスの侵略の脅威に度々さらされます。

事実、独立後間もない1877年には、イギリスが内政不安を口実にトランスヴァールを一時併合。これに対するブール人の抵抗が、第一次ボーア戦争(1880–1881年)へと発展しました。

金への執着心から繰り返された干渉と侵略は、トランスヴァール共和国の存立を常に危うくする要因だったのです。

大英帝国はダイヤモンドにも着目

19世紀後半の南部アフリカでは、金と並んでダイヤモンドの大鉱脈も発見されていました。イギリスはトランスヴァールの金だけでなく、周辺で産出するダイヤモンド資源にも強い関心を示します。

例えば、1870年代にキンバリーでダイヤ鉱山が発見されると、イギリスは即座にその地域(当時はオレンジ自由国が領有権主張)を併合しました。

また、トランスヴァール国内にもダイヤモンド産出地があり、これらの宝石はヴィクトリア女王のお気に入りでもあったことから、イギリスの積極的な領土拡張をさらに後押しする結果となりました。

金とダイヤという二大資源の存在が、大英帝国による侵略戦争の引き金の一つだったのです。

世界の流れも戦争に影響

トランスヴァールを巡る戦争は、資源以外の世界的な潮流も背景にありました。当時は各地で帝国主義による侵略が活発化しており、ヨーロッパ列強は中国分割やアフリカ分割を競い合っていました。

大英帝国も他国に後れを取るまいと焦燥感を募らせ、経済的優位を維持するために南アフリカでの軍事行動を正当化した側面があります。

さらに、トランスヴァール内部でもイギリス寄りの政治家をリーダーにして、自分たちの思い通りに動く政府を作ろうとするなど、裏からの働きかけがあり、状況はより複雑になっていきました。

こうした国内外の動きが絡み合い、最終的に1899年、イギリスはトランスヴァール共和国および、同盟関係にあったオレンジ自由国に対して、南アフリカ戦争(第二次ボーア戦争)を仕掛けるに至ったのです。

トランスヴァール共和国の歴史

砂時計と本

トランスヴァール共和国の歩みは、牧歌的な農民国家が世界有数の金鉱とダイヤ鉱脈を抱える新興経済圏へ変貌し、大英帝国と激しく対立した末に国土を失うまでの半世紀を映し出します。

条約による独立承認、人口急増を招いたゴールドラッシュ、二度のボーア戦争、英領化から南ア連邦編入までの転機を順に解説していきます。

独立承認と建国の背景(移住と条約の要点)

ケープ植民地の英語化と課税強化に反発したブール人は、1830年代に大移動(グレート・トレック)を開始し、ヴァール川北岸へ自給自足のコミュニティを築きました。

移動は人と家畜を載せた帆布張りのオクセンワゴンで行われ、原住民との衝突も少なくありませんでした。隊商を守る武装指導者の下、自治意識が急速に高まりました。

1852年、イギリスはサンドリバー条約でヴァール川以北の支配権を放棄し、ズイト・アフリカンス・リパブリック(通称トランスヴァール共和国)の独立を承認します。

条約は通商の自由と国境安定を条件とし、首都プレトリアで共和制体制が整えられました。

ダイヤ・金の発見と人口急増

1860年代後半、トランスヴァール共和国とオレンジ自由国の境界付近で良質のダイヤモンド鉱脈が見つかり、欧州資本と冒険家が殺到しました。鉱区の所有権紛争は、自治政府の行政能力を試す最初の試金石となります。

続く1886年、ヨハネスブルグ近郊のウィットウォーターズランドで世界屈指の金鉱脈が発見されると、移民労働者と投資家が一気に流入し、人口はわずか数年で十倍以上に膨張しました。

インフラ不足を埋めるため鉄道と銀行が急速に整備され、農牧中心だった経済構造が一変します。急増する外来人口はウイトランダーと呼ばれ、ブール人社会との政治的摩擦を深めます。

ウィットウォーターズランドのゴールドラッシュ

ウィットウォーターズランドの金鉱帯は、平均品位が低い代わりに延々と続く薄い鉱脈が地下深くまで横たわる特殊な地質でした。露頭採掘が困難なため、大規模な資本投下と最新機械を用いた深坑掘りが不可欠です。

これに応えたのがロスチャイルド系銀行やセシル・ローズ率いるチャータード社で、彼らは英国本国から巨額の資金と技術者を送り込み、ヨハネスブルグを拠点とするコンソーシアムを結成しました。

24時間操業の鉱山では黒人労働者と欧米鉱夫が混在し、賃金格差や労働環境の過酷さが社会問題化します。加えて排水や粉塵対策が追いつかず、周辺の農地と水源にも長期的な環境負荷を残しました。

第一次・第二次ボーア戦争の勃発と帰結

金鉱利権とウイトランダーの参政権問題を巡り緊張が高まると、1880年に第一次ボーア戦争が勃発しました。ブール側はゲリラ戦で英軍を退け、プレトリア条約で自治と独立回復を勝ち取りますが、停戦は脆弱な休息にすぎませんでした。

1899年にはイギリスが再び大軍を投入し、第二次ボーア戦争が開始されます。当初善戦したブール軍は物量差に屈し、焦土作戦と収容所政策による民間被害で士気が低下します。

1902年のフェリーニヒング条約で共和国は降伏し、国土は英領トランスヴァール植民地へ編入されました。この敗北はブール人の国家理念を打ち砕きますが、後の南アフリカ民族意識形成の礎にもなりました。

英領化〜南アフリカ連邦へ

英領トランスヴァール植民地となった後、イギリス当局は報復を避けるため融和政策に転じ、1906年に自治政府の設立を認めます。ブール人主導のヘルツォグ派が内政を掌握し、農地再建と鉱山再開で戦後復興を急ぎました。

1910年、ケープ・ナタール・オレンジ自由国と合流して南アフリカ連邦が成立し、トランスヴァールは同連邦の一州となります。

共通の白人利害を軸とした連邦体制は、のちのアパルトヘイト政策の土台を形成しつつ、ブール人と英国系の権力分担を制度化しました。新議会では2つの言語と宗派が並立し、外資依存の鉱山経済と、保守的な農村社会が共存する複雑な構造が固定化されます。

トランスヴァールと金の関係

金

19世紀後半、トランスヴァール共和国における金は国家財政を潤しつつ、大英帝国を引き寄せ、ボーア戦争を誘発した決定的資源でした。

本節では金鉱山発見が引き起こした経済・社会の激変、金本位制下で高まった南ア産金の国際的重み、採掘拡大に伴う労働・環境問題を詳しく整理し、併せて資源が国家運命を左右した歴史をご紹介します。

金鉱山の発見がもたらした経済・社会の変化

1886年のウィットウォーターズランド金鉱の発見は、農牧主体だった共和国の収支構造を一変させ、輸出税収と外国投資が雪崩れ込みました。

この影響からヨハネスブルグは掘っ立て小屋の集落から、金融と物流が集中する大都市へ成長します。鉱山会社向けに鉄道や電信網も敷設され、道路舗装と上下水道が急ピッチで整備されました。

外来の労働者はブール人より高賃金を得た反面、参政権を認められず不満を蓄積し、都市と農村の階層対立を深めます。格差拡大は治安悪化と物価高騰を招き、伝統的な農業共同体の価値観が急速に揺らぎ、社会構造が再編されました。

金本位制期の世界市場と南アフリカの役割

19世紀末から20世紀初頭、列強は金本位制を導入し、自国通貨の信用裏付けとして大量の金銀蓄蔵を競いました。ロンドンは国際決済の中心地となり、南ア産金を安定的に確保することがポンドの信認維持に直結します。

ドイツ帝国やアメリカ合衆国も金準備の確保で英国と利害を共有し、ヨハネスブルグの鉱区株は欧州市場で活発に取引されました。

結果としてトランスヴァールの年間産金量は1905年に世界総計の約三分の一を占め、ロンドン金価格の指標化を通じて為替相場を左右しました。輸出税収は本国イギリスの歳入にも寄与し、供給途絶リスクがボーア戦争後の再開発加速を促す要因となります。

採掘拡大が抱えた労働・環境の課題(歴史的視点)

深坑採掘には多人数の坑夫と高圧蒸気機械が必要で、ブール政府は黒人労働者を低賃金で徴用し、さらに1904年には清国人契約労働者6万人余りを輸入しました。

長時間労働と過酷な粉塵環境で肺疾患が多発し、死傷事故も絶えません。賃金格差は人種対立を先鋭化させ、都市部の治安悪化とストライキ頻発を招きます。

環境面では、選鉱の際に発生するシアン化合物と酸性尾鉱が河川と農地に流出し、牧畜と水利に深刻な影響を及ぼしました。植民地当局は規制を設けるも鉱山会社との利害調整が遅れ、改善は20世紀半ばまで本格化しませんでした。

さらに尾鉱ダムの決壊事故が周辺集落をしばしば脅かしました。

 

  • おたからや査定員のコメント
伊東

1886年のウィットウォーターズランド金鉱の発見は、農牧国だった共和国を世界有数の産金地へ転換させ、歳入と外資を爆発的に呼び込みました。一方、低賃金労働や環境負荷が深刻化し、ブール人とウイトランダー(非ボーア移民労働者)の政治摩擦がボーア戦争の火種となります。

金本位制下で南アフリカ産金はポンド防衛の生命線となり、列強は鉱山支配を巡って対立しました。金鉱の繁栄は国家の富をもたらす一方で、主権を脅かす要因ともなったのです。

 

トランスヴァール共和国にまつわる製品の種類

金のインゴット数枚と金貨数枚

トランスヴァールの切手・勲章は、独立国家としての誇りと戦争の緊迫感を同時に映す貴重な歴史資料です。

代表的な非常金貨から戦争関連メダルや切手など、特徴と評価ポイントを整理し、買取査定でも役立つ基礎知識をご紹介します。

金貨

最も有名なバラエティは、1892年初年度に造られた「ダブルシャフト」版で、国章の牛車の車軸が二重に描かれています。後に修正されたため流通量が少なく、シングルシャフト版の数倍で取引される例もあります。

また、1902年、第二次ボーア戦争末期に包囲下で極秘鋳造された“Veld Pond”は、純度99.9%の純金ながら粗い打刻で、総発行約986枚と極少です。

真贋判定には重量測定と鑑定書が不可欠で、国際オークションでは数百万円超の落札例も確認されています。

ボーア戦争関連メダル・従軍章

第二次ボーア戦争従軍者には、女王南アフリカメダル(QSA)が授与され、最大26種の戦役バーが個別装着されました。バーの組合せや縁刻された兵士名が物語性を高め、希少な作戦バー付き個体は高額評価となります。

ブール退役兵向けには1920年制定の星形アングロ・ボーア戦争記章があり、裏面の登録番号が来歴証明と連動します。

ケース・略綬・証書が揃う完品は希少で、ブロンズ地の変色有無が価格差を左右し、フルセットは近年投資対象として注目度が上がっています。

トランスヴァール切手

1870年代初期の切手は活版印刷で額面数字中心の素朴な図案でした。1885年以降は荷車と鷲を配した国章入り凹版切手が登場し、未使用の個体は極めて希少です。

戦時中には既存切手へ“V.R.I.”などを加刷した臨時版が発行され、活字ずれや文字欠落などのエラー加刷が高額取引の対象になります。

使用済みでは地名入りデイトスタンプの鮮明さが重要で、マフェキング包囲期間の日付印はプレミア級です。目打ちや薄紙の折れにも注意してください。

価値がつきやすいポイント

指を立てる女性

収集品の価格は単なる材質価値だけでなく「希少性」「保存状態」「来歴」の要素の総合評価で上下します。まずは、各ポイントの評価基準を理解し、市場で提示される相場と照合することで、妥当な売買価格を見極められるようにしていきましょう。

保存状態(傷・磨き・スラブ化/グレーディング)

未使用に近いコインや切手は光沢や印刷線が鮮明であれば、評価が高まりやすいです。対照的に研磨で意図的に輝きを出した品や指触れの微細傷があるだけで大幅な減点となり、希少年号でも相場が大きく落ち込むこともあります。

状態確認は、まずルーペと斜光で光沢変化を見る習慣が不可欠です。

近年はPCGSやNGCなど第三者機関のスラブ鑑定が主流となり、点数と真贋保証を同時に可視化します。

へこみやリソルブ痕は減点要因となるため、MS67以上やPRディープカメオ表記は安全資産と見なされ、国内外オークションで激しい争奪戦が繰り広げられる傾向が続きます。

希少年号・版違い・ミントマークの確認

同一デザインでも発行年や造幣局刻印で希少性は大きく変わります。例えば、1892年ダブルシャフト金貨や1902年Veld Pondは発行枚数が圧倒的に少なく、通常年号の数十倍で取引されることもあるようです。

まず年号とミントマークの組合せをカタログで照合し、発行量統計も併読しましょう。

刻印位置や文字幅の違いも重要です。微細な版違い(リム幅変化や誤刻字)は見逃されがちですが、後年に研究論文で希少性が正式認定されると突然評価が跳ね上がる事例が多々あります。

購入前には専門書でバリエーションを確認し、可能なら鑑定書で属性を証明してください。

付属品・来歴(鑑定書・箱・由来の証明)の有無

元箱や発行証書が完存するコインや勲章は、市場ではフルセットとして扱われ、単体よりも数割高く評価される傾向があります。

特に戦時非常金貨のように流通数が限られる品では、由来を示す証明書や旧蔵者リストが信頼性の裏付けとなり、真贋論争を避ける盾になります。

来歴が明確な品は、後年に販売履歴が追跡しやすいためリセール時も有利です。オークションカタログへの掲載歴や著名コレクションのシールが残っていれば、希少性だけでなく“物語性”が付加価値となり、国際バイヤーの競争を促します。

保管時は付属品ごと湿度管理し、劣化を防いでください。

偽造・レプリカに注意

高額品には精巧な偽造が付き物です。トランスヴァール金貨の贋物は真鍮芯に金メッキを施し重量を合わせる手口が多く、縁文字の角が丸い、レリーフが浅いといった点で判別できます。切手の場合は加刷文字が滲む、紙質が厚いなど微差が目安です。

近年は3DスキャンとCNC加工で金型精度が向上し、従来の肉眼検査だけでは判別困難になっています。安全策としては、購入前に蛍光X線分析や比重測定を行い、第三者鑑定書を必ず取得することです。

価格が相場より極端に安い案件はまず疑って、オンライン取引では返品保証やエスクローサービスを必ず利用してください。

トランスヴァール共和国に関するよくある質問

考える女性

ここでは、トランスヴァール共和国の成立期間や地名の意味、ボーア戦争との関係、ZAR金貨・切手の見分け方と相場目安など、皆さんが抱きがちな疑問を簡潔に解説します。

Q. トランスヴァール共和国と現代の南アフリカ共和国は同じ国ですか?

厳密には異なります。トランスヴァール共和国は1852年に成立し、1902年まで存在したブール人の国家で、現在の南アフリカ共和国の一部地域に該当します。

1902年以降イギリス領を経て、1910年に南アフリカ連邦のトランスヴァール州となり、現在はハウテン州などに分割されています。つまり、現代の南アフリカ共和国はトランスヴァールを含む複数の旧州からなる別の国家です。

Q. 「トランスヴァール」という地名はどんな意味ですか?

「トランスヴァール(Transvaal)」は「ヴァール川の向こう側」という意味です。

オランダ語系の言葉で、「Trans」は「向こう側」、「Vaal」は南アフリカを流れるヴァール川を指します。ケープ植民地側から見てヴァール川の北に位置することから、この名で呼ばれました。

Q. この国は具体的にいつからいつまで存在しましたか?

トランスヴァール共和国は1852年に建国され、1902年に第二次ボーア戦争の終結とともにイギリスに降伏して消滅しました。

一時期(1877~1881年)はイギリスに併合されましたが、第一次ボーア戦争の勝利で独立、復活しています。その後1902年からは英領となり、1910年に南アフリカ連邦へ組み込まれました。

Q. 首都や主要都市はどこでしたか?

首都はプレトリアです。プレトリアは行政の中心で、現在でも南アフリカ共和国の行政首都となっています。主要都市としては、ヨハネスブルグが挙げられます。

1886年の金鉱発見で急成長した都市で、当時から経済の中心地でした。他に初期の開拓拠点だったポチェフストロームや、中継地のハイデルベルグなども重要都市でした。

Q. ポール・クルーガーとはどんな人物ですか?

ポール・クルーガーはトランスヴァール共和国の第4代大統領(在任1883~1900年)で、同国の象徴的指導者です。朴訥な風貌と強固な意志から「オーム(叔父さん)・ポール」の愛称で親しまれ、イギリスからの独立維持に尽力しました。

第二次ボーア戦争ではヨーロッパ各国に支援を訴えましたが叶わず、終戦直前に亡命しています。彼の肖像はトランスヴァールの金貨や記念碑に刻まれ、現在の南アフリカでもクルーガー記念館などで顕彰されています。

Q. 1892年金貨のバラエティ(例:デザイン差)は価値に影響しますか?

はい、影響します。特に有名なのが1892年発行の「ダブルシャフト」金貨です。

国章中の荷車の車軸が二重に刻まれたエラー版で、通常のシングルシャフト版に比べて発行数が限られ非常に珍しいため、コレクター市場では高額になります。このような年号・デザイン違いのバラエティは希少性が高いほど価値が上がる傾向です。

Q. 戦時非常金貨「Veld Pond」とは何ですか?

Veld Pond(フェルト・ポンド)は、第二次ボーア戦争中の1902年にトランスヴァール側が発行した非常用の金貨です。戦況悪化で正規の金貨が不足したため、野戦下の簡易設備で純金から急造されました。

表面に「Z.A.R. 1902」、裏面に「EEN POND」と刻むだけの簡素なデザインで、約986枚しか製造されなかった極めて希少なコインです。現存数が少なくオークションでも高値で取引される伝説的貨幣となっています。

Q. トランスヴァール切手で評価が高いポイントは?

希少な発行と良好な保存状態がポイントです。例えば、発行枚数の少ない初期切手や、戦乱期の加刷切手・誤刷切手などは高評価になります。

また、未使用美品(裏糊つき)の切手や目打ち・印刷が完璧なものはコレクターから特に好まれます。さらに珍しい消印(使用済みの場合)やエラー品(刷色違い・印面の欠損など)は付加価値を大きく高めます。

総じて「どれだけ稀少で状態が良いか」が評価を左右します。

Q. 「おたからや」でトランスヴァール由来のコインや切手の査定は可能ですか?

はい、「おたからや」ではトランスヴァール共和国に由来する金貨・銀貨・メダル・切手類の査定も可能です。金貨や記念メダルはもちろん、アンティークコイン全般の買取実績があり、専門知識を持つスタッフが真贋や価値を丁寧に鑑定いたします。

切手についても、希少切手や古い外国切手の取り扱い経験がありますので、トランスヴァール関連のアイテムもお気軽にご相談ください。適正な市場相場を踏まえた上で査定額をご提示いたします。

まとめ

トランスヴァール共和国は、南部アフリカの歴史において金とダイヤを巡る大国の思惑に翻弄された悲劇の国家でした。その歩みの中で発行された金貨や切手、勲章の数々は、当時の栄華と争乱を物語る貴重な遺産です。

現在、これらのコインや切手は収集市場で高い評価を受けるものも多く、その価値は保存状態や希少性といったポイントによって大きく左右されます。

歴史的背景を知ることで、それぞれのアイテムに一層の深みが増し、真贋見極めの目も養われるでしょう。ご自宅に眠るトランスヴァールゆかりの品をお持ちの方は、ぜひ専門家に査定を依頼してみてください。

歴史の証人とも言えるこれら遺品が、適正に評価され次の世代へ受け継がれていくことを願っています。

「おたからや」での金の参考買取価格

ここでは、「おたからや」での「金」の参考買取価格の一部を紹介します。

2025年11月06日14:00更新

今日の金1gあたりの買取価格相場表

金のレート(1gあたり)
インゴット(金)21,615
+305円
K2421,359
+302円
K2320,278
+287円
K2219,630
+278円
K21.619,197
+271円
K2017,684
+250円
K1816,211
+228円
K1412,281
+174円
K1210,335
+146円
K108,606
+122円
K97,741
+109円
K86,445
+92円
K53,202
+45円

※上記の買取価格はあくまで参考価格であり、市場の動向、付属品の有無などによって実際の査定額が変動する場合があります。

※状態や付属品の有無、時期によって買取価格が異なりますので詳細はお問い合わせください。

金はインフレや有事に強みを発揮する実物資産で、ポートフォリオの分散先として有効です。品位や重量、希少年号の有無でg当たり数千円規模の差が生じる場合があり、未使用美品や鑑定書付きはプレミア評価が期待できます。

特にZAR金貨は年号・ミントマークで倍率が変動するため、売却前に複数店舗で比較査定を取ることを推奨します。気になる点は最寄り店舗へお気軽にご相談ください。

 

  • おたからや査定員のコメント
伊東

トランスヴァールの金貨・切手は、金鉱発見とボーア戦争の光と影を映す史料です。鋳造年やミントマークで希少性が激変するため、縁の摩耗・変色を防ぐ保存環境が価値維持の鍵となります。

真贋判定では重量誤差±0.3 g以内とレリーフのシャープさを要確認です。専門査定で市場評価を把握し、歴史的遺産を次世代へ確かな形で継承しましょう。

 

金の買取なら「おたからや」

「おたからや」では、純金インゴット・K18ジュエリー・南ア旧金貨まで1g単位で正確に査定し、その場で現金をお渡しできます。最新の国際相場と円レートを即時反映し、査定料や手数料は一切かかりません。

刻印が不鮮明な品や宝石付き製品も品位を計測し、付属品がなくても適正価格をご提示いたします。全国の店舗で無料査定を行っていますので、売却をご検討の際はお気軽にお持ち込みください。

おたからやの金買取
査定員の紹介

伊東 査定員

  • 趣味

    ショッピング

  • 好きな言葉

    有言実行

  • 好きなブランド

    ハリーウィンストン

  • 過去の買取品例

    おりん、インゴット

初めまして。査定員の伊東と申します。 おたからやでは金の買取をする際に、今日の金の1gの買取相場を基に、デザイン性などをプラスで評価して高価買取を行っております。過去に1万点以上の査定をさせていただきましたが、とても多くのお客様に想像以上の金額になったと喜んでいただきました。また、おたからやでは、すべての店舗に比重計を完備しているため、金の含有量を正確に測定することができます。 金額はもちろんのこと、接客も最高のおもてなしができるように心がけております。私共はお品物だけではなくお客様一人ひとりの思いに寄り添い満足して帰っていただけるように丁寧な説明を致します。誠心誠意対応させていただきますので、是非おたからやのご利用をお待ちしております。

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