マルコ・ポーロは何をした人か時代別で簡単に解説!日本を「黄金の国」と評した背景や東方見聞録はいつ?

※下記の画像は全てイメージです
「マルコ・ポーロって何をした人なの?」
「東方見聞録はいつ?有名だけど、具体的にどんなことを成し遂げたの?」
そんな疑問を抱く方も多いのではないでしょうか。
13世紀という遥か昔の時代に、東西の架け橋となったこの偉大な冒険家は、現代の私たちの生活にも思わぬ影響を与えています。彼が記した「黄金の国ジパング」の記述は、700年後の今でも多くの人々を魅了し続けているのです。
この記事では、マルコ・ポーロの生涯と功績として何をした人かを時代別に簡単に解説し、日本を「黄金の国」と評した時代背景や現代への影響まで詳しく紹介します。
歴史上最も有名な冒険家の一人が、なぜこれほど長く人々の心を捉え続けているのか、その謎に迫ってみましょう。
Contents
マルコ・ポーロとは?【何時代の人物かを簡単に】

700年以上前の中世ヨーロッパに生きたマルコ・ポーロ。
彼が活躍した時代背景を知ることで、何をしたことによって現代でも評価されているのか、なぜこれほど壮大な冒険が可能だったのか、その謎が見えてきます。
日本の鎌倉時代と重なるこの激動の時代を、分かりやすく解説します。
1254年〜1324年を生きた中世ヨーロッパの商人
マルコ・ポーロ(Marco Polo)は、1254年頃にイタリアのヴェネツィア共和国で生まれ、1324年に同地で亡くなった商人であり冒険家です。彼が生きた約70年間は、まさに世界史の転換点とも呼べる激動の時代でした。
ヴェネツィアは当時、地中海貿易の中心地として繁栄を極めており、マルコの家族も代々商業に携わる裕福な商家でした。父のニッコロ・ポーロと叔父のマッフェオ・ポーロは、中東貿易で財を成した敏腕商人として知られていました。
鎌倉時代の日本と同じ時代背景
マルコ・ポーロが活躍した13世紀後半から14世紀前半は、日本では鎌倉時代にあたり、ちょうど源頼朝が鎌倉幕府を開いてから約100年が経過し、武士による政治が安定していた時期です。
興味深いことに、マルコが中国でフビライ・ハンに仕えていた1274年と1281年には、そのフビライ・ハンが日本に侵攻した「元寇」が起きています。
つまり、マルコ・ポーロは日本の歴史にも間接的に関わった人物なのです。
モンゴル帝国の全盛期に活躍
マルコ・ポーロの生涯を語る上で欠かせないのが、当時のモンゴル帝国の存在です。13世紀は、チンギス・ハンによって建国されたモンゴル帝国が、ユーラシア大陸の大部分を支配していた時代でした。
特にマルコ・ポーロが仕えることになるフビライ・ハン(クビライ)は、モンゴル帝国の第5代皇帝であり、中国を統一して「元」王朝を築いた偉大な君主。
この巨大帝国の存在があったからこそ、マルコ・ポーロの壮大な旅が可能になったのです。
マルコ・ポーロが成し遂げた3つの偉業【何をしたかを簡単に解説】

「マルコ・ポーロは何をした人?」この疑問に答えるため、彼の人生で最も重要な3つの功績を整理しました。
24年間の大冒険から『東方見聞録』の執筆まで、歴史に名を刻んだ理由を具体的に見ていきましょう。
24年間にわたる15,000kmの大冒険
マルコ・ポーロの最も有名な功績は、なんといっても24年間に及ぶ東方への大旅行です。1271年、わずか17歳という若さでヴェネツィアを出発した彼は、父と叔父とともに約15,000キロメートルの道のりを踏破しました。
この距離がどれほど壮大なものかというと、現在の日本からブラジルまでの直線距離に匹敵。
しかも、飛行機も自動車もない時代に、徒歩と馬、時には船を使っての移動なので、その過酷さは想像を絶するものがあります。
往路では、中東からシルクロードを通って中央アジアを横断し、ゴビ砂漠を越えて中国の上都(現在の内モンゴル自治区)に到達。
復路では海路を選び、東南アジアやインド洋を経由してペルシア湾まで航海するという、まさに地球規模の冒険を成し遂げたのです。
フビライ・ハンに17年間仕えた外交官としての活躍
マルコ・ポーロが単なる旅行者ではなく、歴史に名を刻んだ理由の一つが、フビライ・ハンに仕えた17年間の活動です。彼は皇帝の信頼を得て、重要な外交使節として中国各地や周辺諸国に派遣されました。
マルコ・ポーロの語学の才能と観察力により、フビライ・ハンは大いに感嘆。
彼は派遣先の政治情勢や経済状況、文化的特徴を詳細に報告するだけでなく、現地で見聞きした興味深い逸話や珍しい習慣についても皇帝に伝えました。
この経験により、マルコ・ポーロは当時のアジア各地の実情を誰よりも深く理解する人物となったのです。単なる商人の息子だった少年が、世界最大の帝国で重要な役職に就くという、まさにシンデレラストーリーのような人生を歩んだといえるでしょう。
『東方見聞録』でアジアの文化をヨーロッパに伝達
マルコ・ポーロの名前を不朽のものにした、『東方見聞録』(原題:『世界の記述』)の執筆はいつの時代なのでしょうか?
『東方見聞録』が生まれた経緯は、決して順風満帆なものではありませんでした。
1295年にヴェネツィアに帰還したマルコ・ポーロは、その後ジェノヴァとの戦争に従軍しますが、不運にも捕虜となって投獄されてしまいます。しかし、この獄中生活が『東方見聞録』誕生のきっかけとなったのです。
牢獄で出会った作家ルスティケロ・ダ・ピサに、マルコ・ポーロは自らの冒険談を語り聞かせました。ルスティケロがこれを物語として整理し、フランス語で記録したものが『東方見聞録』となったのです。
この書物は瞬く間にヨーロッパ中で評判となり、様々な言語に翻訳されました。現在までに約140の写本が発見されており、当時いかに多くの人々に愛読されたかが分かります。
参考:ブリタニカ百科事典
フビライ・ハンとの運命的な出会い

わずか17歳で故郷を離れ、世界最大の帝国の皇帝に仕えることになったマルコ・ポーロ。この運命的な出会いが、彼の人生を決定づけました。
なぜ外国人の青年が、モンゴル帝国で重用されるようになったのでしょうか。
17歳での壮大な旅の始まり
1271年、マルコ・ポーロの人生を決定づける瞬間がやってきました。父ニッコロと叔父マッフェオが2度目の東方貿易に向かう際、彼らは17歳のマルコを同行させることを決めたのです。
この決断の背景には、フビライ・ハンからの特別な要請がありました。父と叔父は以前の旅でフビライ・ハンに謁見し、ローマ教皇への書簡を託されていました。皇帝は「キリスト教に精通した100人の賢者」の派遣を求めていたのです。
しかし、実際に同行できたのは2人の修道士のみで、彼らも旅の途中で恐れをなして引き返してしまいました。結果的に、マルコ・ポーロ一行3人だけが、この歴史的な旅を完遂することになったのです。
皇帝に認められた才能と語学力
1274年の夏、3年半に及ぶ過酷な旅路を経て、マルコ・ポーロたちはついに上都でフビライ・ハンに謁見しました。このとき、若きマルコ・ポーロの才能が皇帝の目に止まったのです。
マルコ・ポーロは類稀な語学の才能を持っており、短期間でモンゴル語、中国語、ペルシア語を習得。
また、異文化に対する深い理解力と優れた観察眼を備えていたため、フビライ・ハンは彼を特別に重用するようになりました。
皇帝がマルコ・ポーロを気に入った理由は、彼の報告の仕方にもあります。他の使者が簡潔な報告しかしないのに対し、彼は現地の風習や興味深い出来事を詳細に、そして面白おかしく語ったのです。
これが、後の『東方見聞録』の原型となったといえるでしょう。
中国各地を巡った特別な使者としての役割
フビライ・ハンの信頼を得たマルコ・ポーロは、帝国の重要な使者として様々な任務を与えられました。彼は中国国内はもちろん、東南アジアやインドにまで派遣され、各地の政治情勢や経済状況を調査しました。
特に印象的だったのは、現在の雲南省やミャンマー地域への派遣です。
マルコ・ポーロはこれらの地域で、ヨーロッパでは見たことのない珍しい動物や植物、独特な文化に触れ、象を使った軍事作戦や、現地の金採掘の様子なども詳細に観察し、後に『東方見聞録』に記録しています。
また、マルコ・ポーロは一時期、現在の江蘇省揚州の総督も務めたとされています。外国人でありながら中国の地方行政を任されるという異例の待遇は、フビライ・ハンがいかにマルコを信頼していたかを物語っているエピソードですね。
『東方見聞録』はいつ、どのように生まれたのか?

『東方見聞録』はいつ、どのように生まれたのか気になる人も多いことでしょう。世界的な名著『東方見聞録』の誕生は、意外にも牢獄から始まりました。
捕虜となったマルコ・ポーロが、同房の作家と出会ったことで生まれたこの奇跡の書物。その制作過程と後世への影響を詳しく探ります。
獄中での偶然の出会いから誕生
1295年、24年ぶりに故郷ヴェネツィアに戻ったマルコ・ポーロでしたが、彼の冒険はまだ終わっていませんでした。
当時、ヴェネツィアは商業上のライバルであるジェノヴァと激しい戦争を繰り広げており、マルコ・ポーロも愛する故郷のために戦争に参加したのです。
しかし、1298年のクルツォラ島の海戦でヴェネツィア軍は敗北し、マルコ・ポーロは捕虜となってジェノヴァの牢獄に収監されてしまいました。この不運な出来事が、皮肉にも世界史に残る名作を生み出すきっかけとなったのです。
牢獄で彼が出会ったのは、ルスティケロ・ダ・ピサという作家でした。ルスティケロは『アーサー王の円卓の騎士』などの騎士道物語で知られる人物で、物語を魅力的に構成する技術に長けていました。
ルスティケロとの共同作業
獄中で時間を持て余していたマルコ・ポーロは、同房のルスティケロに自分の東方での体験を語り始めました。ルスティケロは、彼の話があまりに興味深く、また詳細であることに驚嘆しました。
二人は協力して、マルコ・ポーロの体験談を一つの物語として整理することにしました。マルコが記憶を頼りに語る内容を、ルスティケロが文学的な技巧を駆使して魅力的な物語に仕上げていったのです。
この共同作業により生まれたのが『東方見聞録』です。単なる旅行記ではなく、読み物としても非常に面白い作品に仕上がったのは、ルスティケロの文学的才能があったからこそといえるでしょう。
1298年頃の執筆とその後の影響
『東方見聞録』は1298年頃に完成し、当初はフランス語で書かれました。しかし、その内容があまりに驚くべきものだったため、多くの人は「作り話」だと考えました。
紙幣の存在、石炭の使用、郵便制度など、当時のヨーロッパ人には信じがたい内容が含まれていたからです。
しかし、時代が下るにつれて、マルコ・ポーロの記述の正確さが証明されるようになり、15世紀以降の大航海時代には、『東方見聞録』は探検家たちの必読書だったといえるでしょう。
コロンブスも『東方見聞録』の愛読者であり、彼が西回りでアジアを目指したのも、マルコ・ポーロが記述した「黄金の国ジパング」に魅力を感じたからだといわれています。
この意味で、『東方見聞録』はアメリカ大陸の発見にも間接的に貢献したといえるでしょう。
マルコ・ポーロが日本に与えた影響【黄金の国の由来】

「黄金の国ジパング」として日本を世界に紹介したマルコ・ポーロ。
マルコ・ポーロが何をしたのかと日本でも多くの関心を集める理由は「黄金の国ジパング」という記述にあるといえるでしょう。
この記述が生まれた背景には、古くから続く金への憧憬がありました。700年前から変わらない金の魅力と、現代における資産価値について考察します。
「ジパング(黄金の国)」として世界初紹介
マルコ・ポーロが日本史に与えた最も大きな影響は、日本を「ジパング(Cipangu)」として世界で初めて紹介したこと。
『東方見聞録』の中で、彼は日本を「黄金に満ちた島国」として描写し、ヨーロッパ人の憧憬の的にしました。
「ジパング」という名前は、当時中国で使われていた「日本国」の発音「ジッポングォ」に由来するとされています。
マルコ・ポーロは実際に日本を訪れたことはありませんでしたが、中国滞在中に聞いた情報をもとに、これほど魅力的な記述を残したのです。
彼が記した日本の描写は、単なる地理的な情報を超えて、ヨーロッパ人の想像力をかき立てる幻想的な内容で、「東の海に浮かぶ島には、宮殿が純金で覆われ、真珠が敷き詰められている」といった記述は、後の探検家たちの冒険心に火をつけることになります。
中尊寺金色堂の伝聞が生んだ黄金のイメージ
マルコ・ポーロが描いた「黄金の宮殿」のイメージは、実は平泉の中尊寺金色堂に関する伝聞がもとになっていると考えられています。12世紀に奥州藤原氏によって建立されたこの建物は、内外に金箔が施された豪華絢爛な仏堂でした。
当時の中国では、日本から砂金や金製品が輸入されており、「日本は金の産地」という認識が広まっていました。
マルコ・ポーロはこうした情報と、中尊寺金色堂のような具体的な建造物の話を組み合わせて、魅力的な「黄金の国」の物語を創り上げたのです。
しかし、興味深いことにマルコ・ポーロの記述は必ずしも誇張ではありません。
実際に日本は古代から金の産出国として知られており、特に奥州(現在の東北地方)では豊富な砂金が採取されていました。
マルコ・ポーロの「黄金の国」という表現は、ある意味で日本の実情を正確に表現していたといえるでしょう。
700年前から変わらない金の魅力と価値
マルコ・ポーロが記述した「黄金への憧れ」は、700年以上経った現在でも人々の心を捉え続けています。なぜなら、金という貴金属が持つ本質的な価値と魅力は、時代を超えて変わることがないからです。
13世紀の中国でも、ヨーロッパでも、金は最も価値のある資産として認識されていました。
それは単に美しいからという理由だけではなく、金が持つ不変性、希少性、そして普遍的な価値に人々が魅力を感じているためでしょう。
現代においても、金は「安全資産」として世界中の投資家に愛され続けています。経済の不確実性が高まるほど、金の価値は見直される傾向にあり、マルコ・ポーロの時代から現代まで、金が人々を魅了し続ける理由がここにあるのです。
13世紀から現代まで、金は人々を魅了し続ける究極の資産
マルコ・ポーロが『東方見聞録』で描いた黄金への憧憬は、現代の私たちにも通じるものがあります。彼が生きた13世紀から現在まで、金は一貫して「価値の保存手段」として機能し続けてきました。
当時のモンゴル帝国では、金が国際的な決済手段として使われていました。シルクロードの商人たちは、金貨や金塊を持って各地を移動し、どこでもそれが価値を持つことを知っていました。この普遍性こそが、金の最大の魅力なのです。
現代においても、金は世界中で価値が認められる数少ない資産の一つです。
どの国の通貨よりも安定しており、インフレーションや経済危機に対する強い耐性を持っています。マルコ・ポーロが憧れた黄金の魅力は、まさに私たちが今日でも実感できる現実といえるでしょう。
時代を超えて価値を保ち続ける金の安定性
700年以上前にマルコ・ポーロが記録した金への憧憬を見ると、金という貴金属の驚くべき安定性が浮き彫りになります。
なんと政治体制が変わり、通貨が変わり、技術が進歩しても、金の本質的価値は変わることがありませんでした。
そういった背景があり、近年の世界情勢を見ても金の重要性はますます高まっています。
- おたからや査定員のコメント
コロナ禍や地政学的リスクの高まりにより、多くの投資家が金を「安全な避難先」として選択しています。その結果、金の価格は過去最高水準まで上昇しており、今後もさらなる上昇が期待されています。
もしもあなたの手元に眠っている金製品があるなら、それはマルコ・ポーロが憧れた「黄金」と同じ、時代を超えた価値を持つ貴重な資産といえるでしょう。

マルコ・ポーロの死因と最期

24年間の大冒険を経て故郷に戻ったマルコ・ポーロは、どのような晩年を過ごしたのでしょうか。
商人として成功を収め、家族に恵まれた彼の最期の日々と、現代まで語り継がれる臨終の言葉について紹介します。
1324年1月8日、ヴェネツィアで病死
1299年にジェノヴァの牢獄から釈放されたマルコ・ポーロは、ヴェネツィアに戻って商人としての生活を再開しました。東方での豊富な経験と人脈を活かし、彼は故郷でも成功を収めることができました。
46歳のときにドナータ・バドエルという女性と結婚し、ファンティナ、ベレッタ、モレタという3人の娘をもうけました。家族に恵まれた晩年は、比較的平穏なものだったようです。
1324年1月8日、マルコ・ポーロは病気により69歳でこの世を去りました。当時としては長寿での大往生でした。臨終の際、周囲の人々は彼に「東方見聞録の内容は作り話だったのではないか」と尋ねたといわれています。
しかし、マルコは「私が見たことの半分も語っていない」と答えたという逸話が残されています。
69歳という当時としては長寿での大往生
13世紀から14世紀にかけての平均寿命を考えると、マルコ・ポーロの69歳という年齢は驚くべき長寿でした。過酷な旅路を経験し、異国の風土病にもさらされたにも関わらず、これほど長生きできたのは幸運というほかありません。
彼の長寿の秘訣は、おそらく東方で身につけた健康法や食習慣にあったのでしょう。中国やモンゴルで学んだ薬草の知識や、バランスの取れた食事法が、彼の健康維持に役立っていたと考えられます。
また、好奇心旺盛で前向きな性格も、長寿の要因だったかもしれません。晩年まで商業活動を続け、家族との時間を大切にしていたマルコ・ポーロは、充実した人生を送ったといえるでしょう。
商人として成功した晩年の生活
『東方見聞録』の著者として有名なマルコ・ポーロですが、実は彼の本業は最初から最後まで商人でした。東方での経験を活かし、彼は故郷ヴェネツィアで香辛料や絹織物の貿易に従事しました。
東方の商品に関する深い知識と、現地での人脈を持つマルコ・ポーロは、他の商人にはない競争優位性を持っていました。彼が取り扱う商品の品質や真贋を見極める目は、長年の経験によって培われたものでした。
遺産相続の記録によると、マルコ・ポーロは相当な財産を築いていたことが分かります。
3人の娘たちにも十分な遺産を残しており、商人としても成功を収めていたことが確認できます。冒険家としてだけでなく、実業家としても優秀だったマルコ・ポーロの多才ぶりが窺えます。
現代に受け継がれるマルコ・ポーロの遺産

マルコ・ポーロが何をしたかを知ると、700年後の現代でも彼の影響が色褪せていないことに驚かされます。
人気の紅茶ブランドから映画・ゲームまで、様々な分野で彼の名前が使われ続けています。現代文化における彼の足跡を辿ってみましょう。
マリアージュフレールの人気紅茶「マルコポーロ」
マルコ・ポーロの名前は、現代でも様々な形で私たちの生活に息づいています。その代表例が、フランスの老舗紅茶ブランド「マリアージュフレール」の人気商品「マルコポーロ」です。
この紅茶は、中国やチベットの花と果物をブレンドした独特の香りが特徴で、「フレーバードティーの神話」とも称されています。
甘くやさしいハチミツのような香りは、まさにマルコ・ポーロが体験した東方の神秘的な魅力を表現しているかのようです。
シックな黒い缶入りのデザインも人気の理由の一つで、贈答品としても多くの人に愛されています。700年以上前の冒険家の名前が、現代でもこれほど多くの人々に親しまれているのは驚くべきことでしょう。
世界各地に残る記念の場所や建造物
マルコ・ポーロの功績を記念して、世界各地に彼の名前を冠した場所や建造物が存在します。
最も有名なのは、彼の故郷ヴェネツィアにある「マルコ・ポーロ国際空港」でしょう。
中国の北京には「マルコ・ポーロ橋」(盧溝橋)があり、これは彼が『東方見聞録』で美しさを絶賛した橋で、現在でも多くの観光客が訪れています。485頭もの獅子の彫刻が施された石橋は、マルコ・ポーロが見た当時の姿を今に伝えています。
また、世界各地の博物館や図書館には、『東方見聞録』の貴重な写本が保存されており、これらの写本は、中世ヨーロッパの写字生たちが手作業で複写したもので、当時いかに多くの人々がマルコ・ポーロの冒険談に興味を持っていたかを物語っています。
文学・映画・ゲームなどの文化作品への影響
マルコ・ポーロの冒険は、後世の様々な文化作品にインスピレーションを与え続けており、文学作品ではイタロ・カルヴィーノの『見えない都市』のような現代小説にも影響を与えており、彼の想像力と観察眼の豊かさが評価されています。
映画やテレビドラマでも、マルコ・ポーロを主人公とした作品が数多く制作されており、2014年から2016年にかけてNetflixで配信された「マルコポーロ」は、彼の中国での生活を描いた大型歴史ドラマとして話題を集めました。
ゲームの世界でも、マルコ・ポーロは人気のキャラクター、例えば「モンスターストライク」では「鋭気に満ちし宇宙の大商人マルコ・ポーロ」として登場し、多くのプレイヤーに愛されています。
マルコ・ポーロゆかりの品々を査定のプロが解説

マルコ・ポーロの時代に作られた古美術品や書物は、現代でも高い価値を持っています。
『東方見聞録』の古書から、シルクロード関連の工芸品まで、歴史的価値と美術的価値を兼ね備えた品々について、専門的な視点で解説します。
東方見聞録の古書や写本の価値
『東方見聞録』の古書や写本は、古書コレクターや歴史愛好家にとって非常に価値の高いアイテム。
特に15世紀から16世紀にかけて印刷された初期の印刷本は、数百万円から数千万円の価値を持つものもあります。
写本の場合、その製作年代や装飾の美しさ、保存状態によって価値が大きく左右されます。中世ヨーロッパの写字生が丁寧に手書きで複写したものや、美しい装飾が施されたものは特に高く評価されます。
また、異なる言語版の比較研究に使われる写本も学術的価値が高く、研究機関や大学図書館からも重要視されています。
もし古いヨーロッパの書物をお持ちの方がいらっしゃれば、それが貴重な歴史的資料である可能性があります。
シルクロード関連の古美術品
マルコ・ポーロが辿ったシルクロードは、東西文化の交流路として数々の美術品や工芸品を生み出しました。
彼の旅路で触れたであろう中国の陶磁器、ペルシャの絨毯、中央アジアの金属工芸品などは、現在でも高い価値を持つ古美術品として取引されています。
特に元朝時代(13〜14世紀)の中国陶磁器は、マルコ・ポーロが実際に目にした可能性のある貴重な品々。青花磁器の初期作品や、当時の宮廷で使われていた白磁などは、コレクターにとって垂涎の的となっています。
また、マルコが『東方見聞録』で絶賛したカイセリ(現在のトルコ)の絨毯も、現代まで受け継がれる伝統工芸品なのは周知の通り。
13世紀の技法を今に伝える手織り絨毯は、単なる敷物を超えた芸術作品として高く評価されています。
中世ヨーロッパとアジアの文化交流を示す品々
マルコ・ポーロの時代は、東西文化の交流が活発になった時期でもありました。この時代に作られた品々には、ヨーロッパとアジアの文化が融合した独特の美しさがあり、多くの人々を魅了します。
例えば、ヴェネツィアンガラスには東方の技法が取り入れられたものがあり、一方で中国の景徳鎮窯ではヨーロッパ向けの特別な陶磁器が製作されています。
こうした文化交流の産物は、歴史的価値と美術的価値を兼ね備えた貴重な品々として現代でも愛好されています。
香辛料を入れる容器や、東方の宝石を使ったヨーロッパの装身具なども、この時代の文化交流を物語る興味深いアイテム。
おたからやでは、こうした歴史的背景を持つ品々についても、専門的な知識をもとに適正な査定を行っております。
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まとめ:700年後も色褪せないマルコ・ポーロの魅力
マルコ・ポーロという一人の青年が、700年以上前に成し遂げた壮大な冒険は、現代の私たちにも多くのことを教えてくれます。
異文化への好奇心、困難に立ち向かう勇気、そして何より「未知の世界への憧れ」という人間の根源的な欲求を体現した人物だったのです。
彼が記録した「黄金の国ジパング」の描写は、金という貴金属が持つ普遍的な魅力を物語っており、13世紀から現代まで、金は人々を魅了し続ける究極の価値保存手段として機能し続けてきました。
現代を生きる私たちも、マルコ・ポーロのように新しい世界に目を向け、価値あるものを見極める眼を持ちたいものです。
もし身近に眠っている古い品々や貴金属があれば、それらもまた歴史の一部として、あるいは資産として、思わぬ価値を秘めているかもしれません。
「おたからや」での「金」の参考買取価格
「おたからや」での「金」の参考買取価格は下記の通りです。
2025年11月06日14:00更新
今日の金1gあたりの買取価格相場表
| 金のレート(1gあたり) | ||
|---|---|---|
| インゴット(金)21,615円
+305円 |
K2421,359円
+302円 |
K2320,278円
+287円 |
| K2219,630円
+278円 |
K21.619,197円
+271円 |
K2017,684円
+250円 |
| K1816,211円
+228円 |
K1412,281円
+174円 |
K1210,335円
+146円 |
| K108,606円
+122円 |
K97,741円
+109円 |
K86,445円
+92円 |
| K53,202円
+45円 |
||
※上記の買取価格はあくまで参考価格であり、市場の動向、付属品の有無などによって実際の査定額が変動する場合があります。
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