大判・小判の特徴と今の価値は?日本の金貨の歴史もご紹介
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金貨が初めて登場したのは?
世界最古の金貨はリディア王国で発行されたと言われています。時代は紀元前7〜6世紀ごろとされていますが、紀元前11世紀に中国で造られたという説もあります。
では日本ではどうなのでしょうか。8世紀の中ごろ、藤原仲麻呂の命により金銭・銀銭・銅銭が造られました。ただこの時代、まだそれほど市場経済が豊かではなかったことから、貨幣の必要性は感じられず、富と権力を表す象徴のために造られたと考えられます。
価値が広まり出したのは、戦国時代のこと
物々交換をしていた太古の昔。次第にお米や布など、生活に必要なものが貨幣の代わりとして扱われるようになりました。それらは物品貨幣と呼ばれていましたが、その後中国の貨幣を見本として「富本銭」が造られ、金を使った貨幣へと移っていきます。豊臣秀吉が金貨を作る前は、中国から輸入した銅銭を使っていましたが、16世紀に入り、戦国大名たちがこぞって鉱山から金銀を採掘して、硬貨を造るようになったのです。この頃から金貨の価値は日本中に広まり出しました。縄文時代から振り返ってみましょう。
縄文時代からの流れ
狩猟を生活の糧としていた縄文時代。農耕技術を取り入れ生産を糧とした弥生時代。当時は品物のやりとりをする物々交換が主な取引手段でした。やがてそれは物品貨幣、商品貨幣と代わり、そして金属貨幣の時代へと移っていきます。7世紀後半には富本銭と呼ばれる銅貨が造られました。戦国時代に入り、豊臣秀吉が金銀貨を造りましたが、このとき造った天正長大判が世界最大であるとされています。そして徳川幕府が全国に貨幣制度を広めたことで、金貨が日本中に行き渡るようになったのです。庶民のあいだでも一般的に使われるようになったのは、戦国時代のころだと言われています。
金座と銀座の歴史
東京にある銀座という地名を知らない人はいないでしょう。さまざまなビルが立ち並び、華やかな賑わいを見せる繁華街です。かつて金座・銀座は幕府が置いた造幣局の通称でした。やがてそれが地名となりましたが、地方にも多く銀座と名のつく地名が存在します。それは金と人類との結びつきを象徴している証でしょう。
大判とは?
この時代に流通している通貨は1円硬貨から10,000円紙幣まで、実際に手にし買い物や支払いをしますから、価値を理解することは容易です。では当時それらはいったいどれくらいの価値があり、また現在の価値はどれほどなのでしょうか。庶民のあいだで、武士や大名のあいだで、どのように使われできたのかを詳しく解説していきます。
大判とは1700年以降、金を楕円形に薄く伸ばして造られた延金・のしきんと呼ばれるもので、当時使われていたもっとも大きな金貨になります。「黄金」とか「大判金」と呼ばれていました。時代としては安土桃山時代から江戸時代まで生産され、使われてきた貨幣です。
幣制を確立させることに傾注した徳川家康が慶長大判をはじめとする金銀貨を造り、その後豊臣秀吉が天正大判を、それ以降各期でそれぞれの大判が造られてきたのです。ちなみに日本史上、はじめて金貨が造られたのは760年ごろとされています。名称は開基勝宝(かいきしょうほう)で、歴史上初の金貨ですから、その価値は高く重要文化財になっています。
金の魅力
ゴールドラッシュと叫ばれていた時代がありました。金脈を探しあて、ハイリターンを夢見る人たちが金を掘ることで、思いを実現させることです。1800年代から行なわれてきたといいますから、昔から金に夢を託す人が多いことを物語っています。
日本では最大の金銀山として佐渡金山が有名です。佐渡島には多くの鉱山が存在し、大判・小判が通貨であった江戸時代において、幕府の財政を支えてきました。金の採掘という夢を胸に、全国から大勢の人が集まって採掘した功績は、世界有数の産出量を誇るまでになったのです。それほど金は魅力あるものだったと言えます。
大判の特徴
6種類ある大判のうち、一部をのぞいて重さは165gほどです。表面の墨書きは砂金の両目を示しています。時代によって変わる価値は少額で7両ほどから多ければ20両を超えます。大判の原型は無名大判にもとめられ、その後、豊臣秀吉が後藤徳乗に造らせた天正大判は金の含有量が73.84%、銀の含有量は26.16%となっています。
幕府の御用金工家である後藤家がその任をまかされ、長きにわたり、金銀貨造りにたずさわってきました。幕府が管理して、決められた形式で造られた大判は、長い歴史を人類とともに歩んできたのです。大判1枚の金額が大きいため、その用途は一般的に使われるというより、おもに贈答用として用いられてきたといいます。戦国武将として知らない人はいないであろう武田信玄や豊臣秀吉が貨幣を造ったことからも、金がどれほど特別な存在であったかがうかがわれます。
現代における大判の価値とは
人類と深い関わりを持った金は、長い歴史のなかで特別な存在でした。はじめて金に出会ったのは6000年もの歳月をさかのぼると言われています。その輝きと希少性により多くの人々から愛されてきたのでしょう。しかし実際にその輝きに触れた経験のある方は多くないはず。当時ですら、小判の流通は多かったものの、大判は庶民にとって高嶺の花。ほとんど手にすることはありませんでした。
大判は価値変動が大きく、いちばん低い7両2分とした場合で換算してみると、なんと約290万円ということになります。換算する基準によって変わってきますが、特に戦国時代での価値は産出が非常に困難でした。ですから目安ではありますが、大判は高価な価値だったということです。そんな金が主原料で造られた大判は当然魅力ある貨幣と言えます。
小判とは?
大判と同じく、金を楕円形に薄く伸ばして造られた延金・のしきんと呼ばれる小判。大判より小さいのでそう呼ばれていました。江戸時代の金貨で形は大判と同じく楕円形。表面に金額と極印、裏面に責任者検印などが記されています。慶長小判を代表として、その種類は多いものの、大判とは違い、金額は全て1両で、大判と対比するため小判という名称となっているのです。
慶長小判が多く造られて全国的な通貨となりましたが、その後もそれぞれの時代で各種発行されてきた、当時の庶民に馴染みの深い通貨です。大判と同じように造られた小判は、徳川家康の慶長小判が最初の例と言われています。
小判の特徴
時代劇を観ていると、ときどき目にする千両箱。江戸時代の通用金貨である小判は1枚1両と決まっていますから、千両箱には小判が1,000枚入っていることになります。ではこの千両箱の重さはいかほどだったのでしょうか。
小判1枚の重量は作られた時期によって変わりますが、慶長小判であれば、小判のみの重さが17.kg強で、箱そのものが5kgだとすれば、20kgを軽く超えることになります。重さもさることながら、この千両箱、いまの価格で計算すると、なんと1箱1億5,000万円もの大金です。小判1枚が約18gという重さは、現代の通貨である紙幣10,000円と違って、質・量ともに重みを感じます。
現代における小判の価値とは
庶民が通貨として金貨を使うようになったのは、戦国時代のころだと言われています。かの有名な武田信玄や豊臣秀吉が造ったことからも、金が人類にとって特別な存在だったことをうかがい知ることができます。しかし全国で統一された貨幣制度によって、貧富の差が生じたことも事実でした。これは現代にも言える負の遺産ですね。
同じ通貨を使っていても、時代によってその価値が変わるのも、また然りです。大判・小判も基準とするもので比較価値は変わりますが、戦国時代の貨幣を、当時のお米の値段と現代のそれから産出してみましょう。たとえば現代のお米5kgを2,000円として計算します。1文が約72円で、1両が4,000文ですので、4,000文x72円で288,00円になります。
つまり金貨1枚は約290,000円ということになります。現代の貨幣の最高額は10,000万円ですから、とても高価だったことがわかります。そんな高価な価値に想いを馳せてか、よく話題にのぼる「徳川埋蔵金」それは夢と憧れの象徴でもあります。太古の昔から人類に深く関わってきた金。大判・小判の価値は金銭的なものだけではありません。
まとめ
日本人として日本の歴史は切っても切れないルーツです。その歴史としての価値があると同時にとても貴重なもの。ご自宅の大切な部屋に飾ってみたくなりませんか?
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