プリアモスのおたからとシュリーマンの疑惑とは?

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プリアモスのおたからとシュリーマンの疑惑とは?

プリアモスの財宝とは、考古学者シュリーマンによって発見されたギリシャ神話の財宝です。当初は歴史的な発見だとされて考古学会でも非常に注目を浴びていましたが、現在ではいくつもの疑惑があがっています。そこで今回の記事ではプリアモスの財宝とシュリーマンの疑惑について詳しくみていきましょう。

プリアモスのおたからとは?

プリアモスのおたから(財宝)とは、ホメロスの叙事詩の中で言及されている王様の名前から名付けられました。このおたからが見つかるまで伝説だったとされていた「トロイア文明」が本当にあったことがわかり、一躍考古学会の中でも話題になります。以下では、このプリアモスのおたからについて詳しくみていきましょう。

そもそもトロイア文明とは

そもそもプリアモスのおたからに関係するトロイア文明とは、古代ギリシャ時代にあったとされる文明です。 

特に有名なのはホメロスの叙事詩にも言及されているトロイア戦争であり、現在でも有名なアキレウスなどの英雄が戦ったとされています。また現在ではコンピューターウイルスで有名な「トロイの木馬」も、トロイア戦争で行われた戦術が由来となっているのも有名な話ではないでしょうか。

この文明はおたからが発見されるまで架空のものだといわれていました。

歴史的発見

このおたからは考古学者であるシュリーマンによって発見されました。

トロイア文明当時のものだと思われる「銀のナイフ・金の指輪・金のカップ・金の髪飾り・当時の人々が使っていたであろう陶器や食器」など、当時の国の財宝であろうものが現在のトルコで発見。この発見によりトロイア文明はトルコにあったのではないか、と現在でも有力の説となっています。

もっともその後の調査によると、発見されたこれらのおたからはトロイア文明のものではなく他の文明の財宝であることが判明しました。

プリアモスの財宝に関連する騒動

実は発見されたおたからに関しては、発見後現在に至るまでに様々な事件がありました。

当時オスマン帝国政府の下で発掘作業を行っていましたが、発掘された品々を無断でギリシアに持ち出されたのです。その後持ち出された品々は、名誉市民の栄誉を与える代わりにドイツへと寄贈されてしまいます。

その後時が流れ第二次世界大戦中に、当時のソ連によって運び出され現在ではロシアの美術館で展示されています。そのため発見された場所であるトルコ、名誉市民を与えた代わりに寄贈されたはずのドイツ、世界大戦中に所有することになったロシアの3カ国が所有を主張して今なお紛争中です。

 

シュリーマンの疑惑

伝説の文明を発見するきっかけとなった人物であるため、考古学会でもさぞ立派な人間だったのではと思われがちです。しかし採掘からその後のおたからの扱いに問題があったため、彼には今なお様々な疑惑がつきまとっています。いったいどのような疑惑なのか、以下で詳しくみていきましょう。

実はうそばかりだった?

実は彼はかなりのホラ吹きで、ペテン師だったのではないかとの見方もあります。

例えば彼は採掘していた状況を伝記として残しているのですが、その記述の中にもいくつかうそのものが書き記されているのです。

当時彼の妻はギリシアに滞在していたのにもかかわらずトルコでおたからが見つかった際、1番に妻へと、おたからの中の飾りをかけたとの記述があります。他にも様々な細いうそが伝記の中に書き記されており、少なくともうそを書き残すような人物であったことは確かです。

考古学に興味がなかった?

伝説的な発見をしたシュリーマンですが、実は考古学に興味がなかったのではないかともいわれています。

なぜなら遺跡の採掘作業がずさんで所々傷んでしまっていたり、プリアモスのおたからを勝手に国外へと持ち出したりするなど問題行動が目立っているからです。

また彼は伝説であった文明に興味があり採掘に着手したと伝記で言及していますが、それは後付であり事業の一環としてしか興味がなかったのではないかとも考えられています。

確かに彼によって勝手に持ち出されたことにより、現在でもプリアモスの財宝を所有しているのがどこの国なのか紛争が続いていることを鑑みると、純粋な考古学者ではなかったのかもしれません。

 

まとめ

プリアモスのおたからとシュリーマンの疑惑について解説してきました。歴史的な偉人ともいえるシュリーマンですが、実は色々な問題行動が目立っていることはあまり知られていません。もっともトロイア文明の発見に貢献した人物であることは確かといえるでしょう。

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