金ぱくの歴史と有名な建物を紹介

豪華けんらんな建物の典型的なものとしてあげられるのが、金ぱくをふんだんに利用していることです。そんな金ぱくですが一体いつから使われるようになったのでしょうか。今回はそんな金ぱくに関する歴史と有名な建物について、詳しく紹介していきます。
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金ぱくの歴史を追う
今でも人々の目を引き豪華なものの象徴として人気である金ぱく。美容や調度品など様々なシーンで使われている金ぱくの歴史は、長く興味深いものです。そこで以下では、世界と日本の金ぱくの歴史について詳しく解説していきます。
金ぱくのはじまり
金ぱくがはじめて使用されたのは、紀元前1200年頃の古代エジプトです。その頃の古代エジプトには、金にまつわる様々な逸話が残されています。
例えば、世界の歴史の中でも非常に有名であるクレオパトラは、美容に金ぱくをふんだんに利用していたそうです。今でも顔のパックに金ぱくを利用している商品などもあり、美容の歴史と金ぱくが深くつながっていたことが分かります。
古代エジプトで金が有していた意味
また歴史的な価値の高いツタンカーメンのマスクには、当時採掘された金がふんだんに使用されているのも有名です。古代エジプトでは現在と同じように金は非常に価値のあるものとされており、非常に大きなサイズを誇るツタンカーメンのマスクにはおよそ10kg以上の金が使われています。
当時エジプトの人々が信仰していた太陽神「ラー」が金でできていると考えられていたこともあわせて、権力の象徴を表しているのが「金」でした。そういった名残は今でも残されており、金や金ぱくは権力・財力の象徴として多くの人々に認識されています。
日本の金ぱくのはじまり
日本では1593年の加賀藩初代藩主前田利家による金・銀ぱくの製造命令が、金ぱくが公式にはじめて作られた時だといわれています。もっともそれ以前にも古墳時代にはアクセサリーに、平安時代には仏像や寺院などに使用されていたようです。
その後も時の権力者たちは権力を誇示するために金ぱくを利用していましたが、江戸幕府による「金座」という組織が設けられたことによって、個人での製造はなくなりました。金座成立以降は、江戸と京都のみでしか作ることを許されていませんでしたが、明治維新とともにその縛りもなくなり全国的な広がりをみせています。
また現在では日本の約90%以上の金ぱくが金沢で作られおり、金沢はくは日本だけではなく世界でも非常に価値の高い工芸品として有名です。
金ぱくで有名な建物
古い歴史を有している金ぱくは、美容品や調度品などに時の権力者が好んで使っています。それは建物も同じです。もっとも実際に金ぱくがふんだんに使われている建物はどのようなものがあるのでしょうか。 日本と世界で有名な金ぱくが使われた建物について、以下で詳しく解説していきます。
金閣寺
日本で金ぱくの使われている建物として真っ先に名前が挙がるのは「金閣寺」ではないでしょうか。
金閣寺に使われている金ぱくの量は約20kg以上といわれています。もっとも金閣寺は放火で焼け落ちてしまったこともあり、そのまま当時の金が残されているわけではありません。しかし再建築の際に同じ量の金が使用されたこともあり、建築された当時とおおよそ同じ程度の金が使用されていることは間違いないでしょう。 金の価格はその時々の相場によって変動するので、どのくらいの金額が使われたかは一概に断言することはできません。
もっとも建築に使われた金の量から大まかに計算すると、約1~3億分の金が使われている計算になり、かなりの値段といえるでしょう。
中尊寺金色堂
平安時代の奥州藤原氏によって建築された中尊寺金色堂も、金ぱくがふんだんに使われた建物として有名です。
特にこの中尊寺金色堂は、マルコポーロ著の「 東方見聞録」にある黄金の国ジパング伝説の由来となった建物とも知られており、日本だけではなく世界的にみても歴史的価値の高い建物になります。
ワット・プラ・ケオ
バンコクにあるワット・プラ・ケオも、金ぱくをふんだんに使用した建物として有名です。
1782年のラーマ一世によって建てられた寺院であり、敷地自体に金がふんだんに使用されていることはもちろんのこと、周囲にある仏塔にも金がこれでもかと使われています。
現在では人気の観光スポットとして知られているため、バンコクに訪れれば誰もがみられる建物です。
まとめ
金ぱくは紀元前1200年から愛されてきたこともあり、世界中で様々な建物に使われています。 日本でも長い歴史を有しており、今回紹介した金閣寺や中尊寺金色堂だけではなく、日光東照宮など歴史深い建物にはなじみ深いものといえるでしょう。