日本が黄金の国「ジパング」といわれた理由

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日本が黄金の国「ジパング」といわれた理由

世界の国々の中には、日本を黄金の国「ジパング」と呼ぶところも多くありますが、なぜそのように呼ばれているのか知っている人はそう多くありません。今回は日本が「ジパング」と呼ばれた歴史的由来について詳しく紹介していきます。

ジパングは東方見聞録が由来

日本が黄金の国「ジパング」といわれていたのは、冒険家・貿易商人として有名なマルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」が由来といわれています。

もっともマルコ・ポーロ自身は当時日本に訪れたことはありませんでした。日本に関する記述は旅したアジア中央(現在のモンゴルやトルコ)や中国(当時の国号は北宋)で見聞きしたことに基づいて執筆した、いわゆるフィクションに近いものです。

実際に書籍の中では「日本は黄金であふれかえっており、建てられている建造物はすべて黄金でできている」と、実態とは少し異なる言及がされています。

なぜこのように実態とは異なる記述がされてしまったのでしょうか?

当時の日本の金事情とジパングと呼ばれる歴史的由来

現代の私たちが想像する黄金の建造物というと、京都にある「金閣寺」ではないでしょうか。しかしマルコ・ポーロが旅したのは1270~1290年前後であるといわれているため、金閣寺は該当しません。ではどういった建造物が、日本を飛び越えてアジア諸国に名をとどろかせていたのでしょうか?

奥州平泉の中尊寺金色堂

黄金の国ジパングといわれる由来にもなった建造物は、現在の岩手県平泉にある中尊寺金色堂といわれています。

中尊寺金色堂が建設されたのは1124年といわれていますが、その当時は奥州で藤原氏が栄華を誇っていました。また東北地方周辺でも、今とは比較できないほど金が採掘されていたといわれています。実際に壁面や天井にもふんだんに金ぱくが使用されており、まさしく金が豊富に使用された建造物といえるでしょう。

また中尊寺の中に安置されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、地蔵菩薩立像(六地蔵)、二天像(持国天、増長天)などの仏像も鮮やかな金色となっており当時の藤原氏の財力がふんだんに使われていたことがうかがい知れます。

当時の中国でのうわさも関係

歴史的にも有名な話ですが、過去の日本の有力者たちは中国に朝貢といった形でさまざまな貢ぎ物を送っていました。

当時の権力者である奥州藤原氏も当時の中国へ砂金や馬などを送り続けていたようです。特に藤原氏の栄華の源泉となった砂金は、当時の中国からしても驚くほどの量が送られていたこともあり、それを聞いたマルコ・ポーロが日本を黄金の国「ジパング」と称したのではないかといわれています。

佐渡金山も関係している説

実は日本が黄金の国ジパングといわれている理由は「佐渡金山」も関係しているのではないかといわれています。佐渡金山はマルコ・ポーロが活躍していた年から約400年以上も離れているので、一見関係ないのではと思われがちです。

しかし佐渡金山は当時では世界でも類をみないほどの金が採掘されていたこともあり、徳川幕府が栄華を誇った源泉でもありました。佐渡金山で採掘された金は、当時鎖国をしていた日本とヨーロッパの列強諸国間の貿易に使われていたようです。

金をふんだんに使用する当時の日本は、ジパング伝説とあいまって再び黄金の国とも呼ばれるきっかけになりました。

 

まとめ

黄金の国ジパングとは当時の日本の状況や中国との関係など、さまざまな歴史的経緯がからみあって呼ばれるようになった呼称です。当時と変わらない価値を維持し続けている金は、今後さらに価値を高めていくかもしれません。

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