伝説となっている日本の黄金郷とは

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伝説となっている日本の黄金郷とは

小判が貨幣として流通していた江戸時代。かつて存在した金山の中では「佐渡金山」があまりにも有名ですが、実はそれ以外にも黄金郷として伝説となっている地域が存在しました。その場所とは「越中」。今回は、伝説となっている黄金郷「越中」の存在と歴史をひも解いてみましょう。

日本の黄金郷伝説の中心「越中」

日本の黄金郷と呼ばれる場所の中心だった「越中」。現在の富山県に位置する場所に伝説は存在しました。なぜ「越中」は黄金郷として伝説となったのでしょうか?まずは「越中」が黄金郷と呼ばれるようになった理由を解説します。

7つの金山

元々「越中」は自然豊かな地域で、地下資源にも恵まれ7つの金山が点在していました。「越中七加祢山」と呼ばれる7つの金山が加賀藩の財政を潤していたと言います。7つの金山の内、松倉金山、河原波金山、下駄金山、虎谷金山は隣接していました。そして隣接していた金山の近くには、2400軒あまりの集落が存在していたのです。まさに金が生み出した黄金郷でした。

 

黄金郷「越中」の歴史

「越中」の金山は、1390年代~1700年頃まで盛んに金が採掘されていました。金山が豊富なこの魅力的な土地をめぐって、戦国時代には「越中」を奪い合う戦が何度も行われたほどです。加賀藩の大きな財源になっていたことでも知られています。黄金郷「越中」の歴史に迫ってみましょう。

加賀藩の財源の要

「加賀100万石」と言われた加賀藩の財源の要は、「越中」の金山でした。富山藩分藩の時にも加賀藩は金山を手放さず、富山藩の中の飛び地の特例行政区として管理していました。「越中」では年貢も免除され、金山に関わる人々の集落以外にも神社や寺、商屋、宿屋なども集っていたと言います。

黄金郷として伝説になっている「越中」ですが、金の採掘量についてはっきりした数字はわかっていません。理由は、加賀藩が極秘で採掘していたためです。藩が直接治めていた場所は厳重に警備され、坑道入り口にも柵や門、番所が設置され出入りを取り締まっていました。加賀藩にとってどれだけ重要な財源だったかがわかります。

黄金郷の終焉

400年近く続いた「越中」の金山も、1688年~1704年には遂に採掘量の限界に達しました。金が採れなくなっていき、「越中」は衰退の一途をたどります。現在では、坑道のなごりや当時坑道で使用していた道具、当時の記録、地名などがかつての黄金郷の存在を忍ばせます。

 

まとめ

今回は、伝説となっている日本の黄金郷について解説しました。金によって栄華を極めた加賀藩の歴史が、「越中」という黄金郷の誕生と密接であったことがよくわかります。日本でこれだけ多くの金山が密接に点在し、黄金郷が実際に存在したのは驚きですね。

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