東洋のクロンダイクと呼ばれた北見枝幸砂金地

この記事では、明治30年代に空前のゴールドラッシュで沸いた「東洋のクロンダイク」についてお話します。本州からも一攫千金を夢みた人たちがたくさん押し寄せた北見枝幸砂金地では、どれほどの盛り上がりだったのでしょうか。
空前のゴールドラッシュで沸いた東洋のクロンダイク
日本は古来より金を身近に感じて生活してきました。通貨はもちろんですが、歴史ある文化財に金があしらってあるものもとても多いです。そんな日本でも、ゴールドラッシュが沸き起こったことがあります。
東洋のクロンダイクとは?
明治30年代に北海道にあるウソタンナイ川の上流で砂金が発見され、「枝幸砂金」と呼ばれたのを皮切りにゴールドラッシュが沸き、北見枝幸地方は「東洋のクロンダイク」と呼ばれました。
これはカナダにあるユーコン河の支流の地域であるクロンダイクにて、1896年(明治29年)に砂金が発見され、ゴールドラッシュが起こったことに由来しています。カナダだけでなくアメリカからもたくさんの人が一攫千金を夢見てクロンダイクに押し寄せましたが、このゴールドラッシュで町ができたほどの賑わいでした。それにちなんで時期が重なったこともあり、ウソタンナイ川のある枝幸地域が「東洋のクロンダイク」と呼ばれたというわけです。
北見枝幸では大きな金塊も発見!
空前のゴールドラッシュが沸き起こり、漁業の不振で困っていた地元の漁師だけではなく、明治30年代には本州からもたくさんの人が押し掛けた東洋のクロンダイクですが、1900年(明治33年)に北見枝幸(えさし)砂金地で769gの金塊がウソタンナン川の支流であるナン川で発見されます。
ゴールドラッシュによって、ウソタンナイ川だけではなくパンケナイ川、ペーチャン川付近でも砂金は発見されます。同時に砂金採集所でもいくつかの集落ができました。たくさんの店が立ち並び、賑わいを見せていましたが、限られた資源は採りつくせばなくなります。一攫千金を夢見て、旅費をはたいて寒さ厳しい枝幸までやってきた人々も、夢破れて故郷に帰る人も少なくありませんでした。
まとめ
東洋のクロンダイクは、本州からも人が押し寄せる大変な騒ぎでした。それくらい金は人々の心を奪いますし、価値の高い資産となります。現代はなかなか大きな金塊を見つけるのは難しいですが、趣味で砂金を楽しむことも可能です。