世界遺産登録を目指す佐渡金山のホントのはなし

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世界遺産登録を目指す佐渡金山のホントのはなし

新潟県の佐渡島に点在する金銀山である通称・佐渡金山は、江戸時代の財政を支える程の豊富な砂金が採取されていたことで知られています。諸説あるとされていますが11世紀後半頃に成立されたと言われる『今昔物語集』にも佐渡金山についての記載が多数あり、古くから佐渡で金が産出することは広く知られていたとも言われています。今回は歴史小説や時代劇などでも舞台となる佐渡金山の知られざるホントの逸話を詳しくご紹介します。

戦国時代には上杉謙信の財源となっていたとされるが実際は違う

1988年の中井貴一主演・NHK大河ドラマの原作ともなった新田次郎の小説『武田信玄』では、戦国時代には既に佐渡金山は発見されており金の採掘が行われていたというストーリー展開がされています。武田信玄の小説や大河ドラマのファンの中には、武田信玄の永遠のライバルともされた「上杉謙信が佐渡金山から秘密裏に財を得ていた」と思われている方も多くいらっしゃるようです。

実際の金採掘は江戸時代になってからと言われているのが一般的なため、事実誤認との指摘も多くありました。作者の新田次郎氏は「(上杉謙信が)極秘に行っていたため、資料として残らなかっただけだ」と多くの指摘に反論したことでも知られています。事実と異なると考えられている理由に、戦国時代下の佐渡はそもそも本間氏の領地であったことや、国内最大級の金産出量を誇っていた相川金山については戦国時代中には未発見だったとされるなどが挙げられています。

しかし新田次郎氏はその後も臆することなく『武田信玄』の続編にあたる『武田勝頼』や『大久保長安』などの執筆に尽力し、新田次郎氏の独特な創造性は現在でも多くの人々に愛されています。

新田氏が反論した根拠となった『今昔物語集』内の記述

新田氏が「上杉謙信が秘密裏に佐渡金山から財を得ていた」とした小説『武田信玄』には多くの有識者から事実では無いと指摘されましたが、新田氏は極秘に行われており公式な資料が残っていないだけと強い反論をしました。この反論の根拠として挙げられた1つに、1120年代以降に成立されたとされる説話集『今昔物語集』内の佐渡に関する記載があります。

『今昔物語集』には「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る話」と言うくだりがあり、伝聞としての記述ではありますが、佐渡では金が採掘されていたと言及されています。そのため『今昔物語集』が成立されたとされる1100年代後期には既に佐渡では砂金などの金が産出されていることは周知されていた可能性が高いと考えたのです。また上杉謙信の跡継ぎであった上杉勝頼により佐渡を領地とした1589年という年月を踏まえても、既に佐渡にて金が採掘されている可能性は誰にも否定できないのです。

 

佐渡金山は流刑地のイメージが強いけれど本当は違う

江戸幕府の財政を支えた日本最大級の佐渡金山は、明治時代半ば頃までと長期間に渡り産出された金を貨幣として利用されていました。佐渡金山の中でも相川鉱山は江戸幕府の直轄地として経営され、非常に重要な地でもありました。

多くの時代劇などでは流刑地の舞台としても登場することもあり、実際には鎌倉幕府の執権であった北条義時などの幕府軍によって島流しをされた順徳上皇や日蓮宗の宗祖である日蓮聖人、能楽を大成させた世阿弥などが流刑された地と言われています。流刑地の一般的なイメージには重罪人が多く治安の悪い環境などを想像しがちではありますが、鉱山に関する労働者の給与水準は高く佐渡金山周辺の町は大変栄えていたとされています。また日本各地から様々な職人などが集まったため人口が急増し町の新田開発なども行われたため、より厳しい土地管理がされていたとも言われています。

江戸時代後期頃には大量の湧き水によって開発が進まなくなった金山の状況もあり約1800人の浮浪者や罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたとも言われていますが、多くは見せしめの意味合いが強かったと言われています。

 

まとめ

よく知られた大河ドラマ・時代劇・小説などで知る佐渡金山と、実際の佐渡金山にまつわる逸話には違いが幾つかあることがわかりました。現在でも佐渡金山にまつわる多くの地が当時のままで残されており、金が採掘されている当時から伝わる貴重な伝統芸能・伝統品も多数あります。

また、金銀の生産のために地の特徴を活かした独自の集落構造を形成していたため、現在でも町全体にその名残を感じることができます。現在の佐渡金山からも私たちは沢山の歴史を学ぶことができ、世界遺産登録がされる日を多くの人が待ち遠しく思っています。

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