ブレトン・ウッズ体制の崩壊とドルショック

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ブレトン・ウッズ体制の崩壊とドルショック

みなさんはブレトン・ウッズ体制をご存知でしょうか。1994年に44カ国がアメリカのブレトン・ウッズに集まり通貨、金融に関する会議が開催され決められた協定のため「ブレトン・ウッズ体制」と呼ばれました。この記事ではなぜブレトン・ウッズ体制が作られたのか、なぜ続かなかったのかを開設します。

第二次世界大戦の反省

ブレトン・ウッズ体制が決められた背景には第二次世界大戦の反省があります。1929年にアメリカから始まった世界恐慌は世界に広がっていきました。この時代、アメリカが世界最大の債権となっており世界の経済はアメリカに依存していたため、アメリカの経済破綻は世界に伝播してしまったのです。そのため、各国の貿易が保護貿易に戻り世界経済を支える基盤が崩壊され、第二次世界大戦につながってしまいました。

このことから大戦後の復興に必要不可欠な貿易の発展と世界の平和維持のため、経済の安定を促すための構成がブレストンウッズで考えられたのです。

 

ブレトン・ウッズ体制

第二次世界大戦の反省から貿易の円滑な発展を促すために考えられたブレトン・ウッズ体制は、金とドルの交換比率を固定化するものでした。交換比率を世界で固定とすることで通貨の交換比率を一定に保ち世界の経済を安定化することが目的です。ブレトン・ウッズ体制は金とドル、各国通貨とドルを固定にすることから金・ドル本位制と呼ばれていました。ドルが主軸となった理由としては、当時のアメリカは圧倒的な金の保有者だったこと、対外資産を保有する債権国だったことに起因します。なぜドルのみではなく金が対象になっていたかというと、当時は各国共通に価値が認められているものを担保にしなければならないという固定概念から世界共通で古くから価値ある金が使われたのです。

この金・ドル本位制には欠点がありました。経済が回復すれば流通させる金・通貨は当然増えていきます。ですが、金は簡単に増やせないため、通貨のように流通によって量を増やすなど柔軟な対応を行えません。ドルは増えていくのに、金は増えないため交換比率は下がり、ブレトン・ウッズ体制に限界がくるのは明白でした。

 

ドルショックによる体制崩壊

ブレトン・ウッズ体制は長くは続きませんでした。アメリカは1960年にベトナム戦争により経済に大打撃を受け、また、日本やフランスなどの国が復興し始めたためドルを基準にした通貨体制は維持ができなくなったのです。

そこで、1971年にニクソン米大統領がドルと金の交換を禁止したことでブレトン・ウッズ体制は終わりを迎えました。このことからドルショックはニクソンショックとも呼ばれています。同年にスミソニアン体制でブレトン・ウッズ体制を維持しようとしました。しかしドルの信用性は急落してしまい、こちらも維持することが難しく翌々年の1973年にブレトン・ウッズ体制から始まった固定相場制は終わりを告げたのです。

 

まとめ

ブレトン・ウッズ体制からドルショックと体制の崩壊について、詳しく解説してきました。固定相場制の崩壊後、各国は現在の変動相場制に移ってきたのです。現代の変動相場制が確立したことで、世界の貨幣価値は安定してきたといえるでしょう。

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