長慶金山とは?金に関する昔話を探る

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長慶金山とは?金に関する昔話を探る

長慶金山とは江戸時代、現在の秋田県にあったといわれている金山です。さまざまな伝説と謎に包まれているこの金山は、現在でも歴史好きな人の間ではたびたび話題にあがっています。今回は、そんな長慶金山にまつわる伝説や逸話を詳しくみていきましょう。

江戸時代に秋田を支えた長慶金山

さまざまな有力者やテレビ番組が調査をしたにもかかわらず、未だに鉱山の跡地が見つかっていないため、徳川埋蔵金と並ぶほどの江戸時代のミステリーといわれている長慶金山。以下ではそんな長慶金山に関してその歴史や逸話など、詳しく解説していきます。

長慶金山とは

秋田にある田代岳の奥にある長慶森が跡地といわれていますが、現在でも鉱山の跡は発見されていません。

古くは南北朝時代(14世紀の半ばから末まで50余年間)の天皇だった長慶天皇が退位後に開発してから、長く秋田を中心に東北地方を支え続けていた鉱山の1つです。

なぜ閉山してしまったのか

江戸時代に秋田藩を取り仕切っていた佐竹氏は、藩内の商業や林業などの事業だけではなく、鉱山の開発事業にもかなり力をいれていました。その結果、銀や金を掘り当てることに成功して、当時ではかなりの繁栄を誇ったそうです。特に江戸時代では金はかなり貴重でしたが、採掘できる鉱山の数は少なかったこともあり、鉱山を所有している藩とそうでない藩とでは経済的な差もかなり大きかったといわれています。

しかし佐竹氏は鉱山のいくつかを幕府には報告せず、藩内のみで利用していたそうです。藩の領地内に鉱山を内緒に所有していたことが幕府にばれてしまいそうになった佐竹氏は、罰せられることを恐れて長慶金山を閉山することを決めました。

その結果、南北朝時代から約500年近くの長い歴史を有していた長慶金山は閉山してしまったのです。

長慶金山にまつわる怖いうわさ

幕府に金山を隠していたことがばれてしまい、厳しい処罰がくだされることを恐れた秋田藩は金山を閉鎖する決断をくだしました。

そこで当時鉱山の経営をしていた伊多波武助が、既に金は尽きてしまったと幕府にうそをついたそうです。さらに民の口から幕府にうそがばれてしまうことを恐れた秋田藩は、そこで働いていた人達約200人前後を生き埋めにしたとの逸話も残っています。

その後金山があったのではないかとされている場所を、長い歴史の中で有力者やテレビの人達などが何度か調査をしていますが、鉱山跡地はいまのところまだ発見されていません。また調査を担当した人達が、後から家に帰って生き埋めになったといわれている人達の嘆きやうめき声に夢で悩まされ続けたとの怖い話も残っています。

現在でも長慶金山の跡地は見つかっていないので、生き埋めになった人達が本当にいたのかどうかは判明していません。もっともこういったさまざまな怖い話が残っている以上、まだ成仏せずに苦しんでいる人達がいる可能性は十分ありうるでしょう。

金山を探す人達

過去にはさまざまな人達が金山を探す動きを見せています。

例えば、1901年には地元秋田の新聞の広告欄に「情報提供者には多額の報酬を支払います」と掲載があり、一躍全国的に有名になったそうです。

ほかにも1929年には、鉱脈を見つけた人には10万円を支払うとの広告も出されていたようですが、発見されるには至りませんでした。

現代になってからも、1991年には同和鉱業が県だけではなく国の援助を受けて調査を行いましたが鉱山の跡地は発見されていません。ただ2009年に当時の金山の様子を描いた「古絵図」が民家で見つかっており、存在自体は間違いないようです。

近年でも何度かテレビ番組による鉱山の捜索などは行われており、徳川埋蔵金などと並んで現在に残されたロマンといえるでしょう。

今後金山の跡地や鉱床が見つかる可能性は十分ありうるので、まだまだ見過ごすことのできない伝説の1つです。

 

まとめ

今回は長慶金山に関する歴史や逸話について詳しく解説してきました。

まだ跡地が見つかっていないため本当に存在していたのかは分かりません。しかしある日突然跡地が見つかる可能性は0ではなく、ロマンあふれる伝説ではないでしょうか。

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