金の都市ヨハネスブルクの繁栄と影

現在、世界金生産量のトップを占めているのは中国やオーストラリア、ロシアが挙げられますが、その昔は南アフリカが多くの金を生産していたのはご存じですか?今回はヨハネスブルクの繁栄と、その影の歴史について詳しく解説していきます。
金の都市と呼ばれたヨハネスブルク
南アフリカ共和国はアフリカ大陸の最南端に位置しています。豊かな自然に囲まれた国であり国内で計7箇所も世界遺産に登録されています。日本の面積と比べると3.2倍もの大きさがある南アフリカは鉱物資源が豊富な国としても有名です。ダイヤモンドラッシュ発祥の地とされているキンバリーをはじめ、鉄・マグネシウム・クロムが主成分のクロム鉱、白い金属で結婚指輪に使われるプラチナといった鉱物の埋蔵量は世界でもトップクラスにあります。
その中でも1800年代に金が発見されたヨハネスブルクは金の都市という意味の「イゴリ」と呼ばれ、金の鉱脈が見つかった1886年以降は、ゴールドラッシュが起こり、地域の各地に集落が形成されていきました。1887年には人口3000人という小さな町でしたが、約10年後の1899年にはなんと7倍にあたる12万人にまで急成長を遂げたのです。アフリカのラスベガスとも呼ばれるほど拡大したヨハネスブルクでしたが、多くの黒人が鉱山での労働を課されてもなお貧困を脱せない貧しい生活を虐げられていた影も存在しています。
1900年代以降には発掘する人手が足りなくなると中国から人を雇い入れますます発掘に力を入れていきました。産出量のピークであった1970年は年間1000tの産出量を誇っていました。
金生産量の減少
ただしいつまでも世界トップの産出量の地位は保てず、現在では世界ランキング6位にまで後退してしましました。原因は掘りつくされてしまったからです。コストがかからない比較的浅く掘りやすい金鉱は掘りつくしてしまい、より多くの金鉱を得るためには地下深くまで掘らなければならなくなってしまったのです。地下深く掘るためには設備も投資しなければならず、そのために人員も確保しなければなりません。こういった理由から簡単に採掘できる夢の街ではなくなってしまいました。
生産コストは世界基準より300ドル近く高くなってしまい、結果南アフリカから産出される金は割高となったのです。
まとめ
ヨハネスブルクは、長期にわたり人種隔離政策であるアパルトヘイト政策がとられてきた結果白人と黒人の差別が根強く残っていたり、黒人との間でも貧富の格差があったり様々な問題を抱えています。かつての金による繫栄した町は数多くの問題を抱えているのです。