大仏鋳造と金の関係性とは

奈良の東大寺にある大仏「盧舎那仏」は743年に発願、752年に完成されました。銅でできた巨大な大仏は2度の戦火に見舞われながらも、現在までその姿を残しています。
現在は年月の経った銅の淡い黒色をしていますが、昔はすべて金で覆われていました。大仏鋳造には金が大きく関わっているのです。
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大仏に使う金はどこから調達したのか
盧舎那仏は高さ16メートル、横幅12メートルある巨大な大仏です。その大仏を塗装する大量の金はどこから調達したのでしょうか。
苦悩していた金の調達
大仏を鋳造する当時の日本では金が採掘されませんでした。そのため、聖武天皇は大仏に使用する金は輸入しようと考えていました。しかし、大仏の鋳造が終わる段階段階になっても金の調達ができずにいたため苦悩したようです。
749年の2月にある一報が届きました。小田郡(現在の宮城県涌谷町)で金が見つかったことが聖武天皇に知らされ、それを機に国家権力で金の採掘が進められました。こうして塗装に使う金を調達することができたのです。
涌谷のゴールドラッシュ
当時採れていた金は砂金であり、効率よく金を採取するには大量の人が必要でした。国家で政策を打ち出し、指揮を執り、当時のゴールドラッシュを招きました。
砂金を採るには洗うための水が必要です。「谷沢に人が湧き(涌き)かえる」ことから、現在の地名となっています。
優れた技術と代償
奈良の大仏がなぜ腐食しないかというと、当時の優れた技術である金メッキ法によるものです。しかし、その技術はとても危険な作業でもありました。
大仏を輝かせる金アマルガム
大仏の塗装に使われている金は、水銀と合わさった合金です。金と水銀を1:5の比率で金アマルガムを作り、それを大仏に塗装していました。
金アマルガムを塗ったあと加熱をすると、水銀だけ蒸発して金だけが残ります。これが金メッキ法です。この技術により、当時の大仏は黄金の輝きを放っていて、現在は腐食せずに残る効果を持っているのです。
金メッキ法による水銀中毒
塗装作業をしている人たちに謎の病が流行りだしました。原因は蒸発した水銀を吸い込んだことによる水銀中毒です。
水銀は人体にとって非常に有害であるため、当時はとても危険な状態で作業をしていたと言えます。原因もわからないため、謎の病とされていました。
金メッキ法は優れた技術ですが、多くの人の命を危険にさらす代償があるものでした。
まとめ
人間と金の歴史は古くからあり、日本もまた例外ではありません。現在まで残る大仏にも使用されていたほど重要なものです。金で覆われた当時の大仏は、それは立派なものだったと言います。今日まで残る日本が誇る芸術品です。