開拓と成長の象徴?ゴールドラッシュがもたらす日本への歴史的影響

人々が金塊採掘で一攫千金を狙い、一ヵ所に集中することをゴールドラッシュといいます。ゴールドラッシュがなければ、現在に至る世界の発展はありません。
海外の情勢に多大な影響を引き起こしたゴールドラッシュですが、実は日本も例外ではありません。日本におけるゴールドラッシュの歴史を紐解いていきます。
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日本の歴史に残るゴールドラッシュ
世界的に発生していたゴールドラッシュですが、日本も全国各地で金の発掘に成功する時代がありました。一世を風靡した鉱山から現在でも金産出ができる鉱山など、日本の代表的なゴールドラッシュを詳しく紹介します。
北海道で起きた「オホーツク・ゴールドラッシュ」
もともと北海道には、砂金の見つかる場所が多くありました。明治時代、枝幸郡は金採掘で大成功を収めたため「オホーツク・ゴールドラッシュ」と呼ばれるほど有名です。
評判を聞きつけた大勢が枝幸に押し寄せ、当時未開であった森林地帯を開拓しました。500人ほど集まった際には集落ができ、全盛期は約5000人が枝幸を訪れたとされています。国内最大の金塊発掘に成功するも勢いは続かず、約4年で金産業は枯渇しました。
オホーツク・ゴールドラッシュは周辺地域にも大きな影響を与え、なかでも紋別市は東洋一と謳われる金山になったといわれています。
当時日本最大級の産金量を誇っていた「佐渡鉱山」
かつて新潟県佐渡島にあった「佐渡鉱山」は、江戸幕府の財政を支えた日本最大級の鉱山です。20軒にも満たなかった寒村が約5万人の鉱山町へと発展した要因は佐渡鉱山で起きたゴールドラッシュのおかげだといえるでしょう。
江戸時代中期になると産金量が減少しますが西洋の技術を取り入れ進化を繰り返し、1989年の操業休止まで金を産出し続けました。現在では鹿児島県にある「菱刈鉱山」が日本最大級の金鉱山とされており、年間約7トンの金が産出されています。
1900年代には三大金山と呼ばれる金鉱山が存在していましたが、当時佐渡鉱山の全盛期は既に過ぎてしまっていたため、残念ながら名は残りませんでした。
海外のゴールドラッシュに参加した日本人「ジョン万次郎」とは?
土佐藩出身の人物「ジョン万次郎」は、海外のゴールドラッシュに参加した唯一の日本人です。当時の日本は、現代ほど気軽に海外へ行けませんでした。なぜ日本人である彼は海外のゴールドラッシュに参加したのでしょうか。
アメリカから帰国するための資金稼ぎで金塊発掘へ
日本で漁師として働いていた万次郎は仕事中に遭難してしまい、アメリカの捕鯨船に助けてもらいます。アメリカへ残りたいと申し出た万次郎は捕鯨船長に才能を見込まれ「ジョン・マン」の愛称をもらい、日本初の留学生として教養をつけていきました。
アメリカの学校を卒業し、航海を続けていた万次郎は「カリフォルニア・ゴールドラッシュ」と遭遇します。カリフォルニアを大都会へ押し上げたとされる最も有名なゴールドラッシュで600ドルほど稼ぎ、万次郎は日本へ無事帰国しました。
海外での知識と経験を買われ、土佐藩士へ異例の出世
当時日本は鎖国をしていたため、異国の情報は非常に貴重でした。万次郎は江戸幕府に呼び寄せられ、翻訳や造船などの仕事に従事します。
万次郎の有能さはすぐ周囲に知られ、身分制度が厳しく定められていた時代にもかかわらず土佐藩士へ異例の出世を成し遂げました。開国に対する思いの強さ故にスパイと疑われる苦節を乗り越え、開国に尽力したのです。
ペリーが日本へ来航したのは、万次郎が帰国して約2年後でした。ゴールドラッシュがなければ、万次郎が日本へ帰国するのはもっと遅れていたでしょう。
まとめ
日本の歴史において繋がりが深いゴールドラッシュを、海外の遠い出来事と感じていた方は多いのではないでしょうか。金の歴史的背景を知ることは価値や重みをさらに実感させます。
大きな開拓と成長を成し遂げたゴールドラッシュの影響力はいうまでもありません。先人たちへ敬意と感謝を抱き、金に触れる喜びを噛み締めて下さい。