戦国武将は独自のものを考案・どんな金貨を作り出した?

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戦国武将は独自のものを考案・どんな金貨を作り出した?

歴史的な戦国武将と聞くと様々な人物をイメージするでしょう。武将の中には当時独自の金貨を鋳造した人物もいます。ここでは知名度の高い武田信玄と豊臣秀吉、徳川家康の作った金貨についてより詳しく見てみましょう。

武田信玄の生み出した金貨

風林火山でおなじみの武田信玄は、その戦績で知られた戦国武将というイメージがありますが、信玄はそれだけでなく国内政治にも力を入れており、国内で通用する金貨の鋳造を手がけました。

 

日本初の貨幣制度の発明者

信玄が作ったとされる金貨は「甲州金」と呼ばれました。これが日本国内では初めて体系化された貨幣制度と言われています。戦国時代に流通し始め、信玄が治めていた甲斐国で取引されていました。長期間にわたって発行されており、信玄がいなくなった江戸時代でも、鋳造されていたと言われています。

 

600年ぶりの快挙?

実は「甲州金」が鋳造されるまで約600年もの間、日本ではお金は作られていなかったと言われています。平安時代初期には銅銭が作られていましたが、中期にはそれも中止になりました。では買い物のときにどのようにしたのかというと、それまで使われていた銅銭や中国のお金などを使ったとされます。

ところが戦国時代に状況が変わりました。大名は戦いに勝利するために軍資金を準備する必要があったのです。そこで金山や銀山を開発し、貨幣の鋳造を進めていきました。その第一弾が信玄の「甲州金」だったのです。600年ぶりに貨幣を復活させるとは、やはり信玄は今なお語り継がれる英雄であることがうかがえます。

 

存在感のある秀吉の通貨

織田信長の跡を継いで日本統一を成し遂げた豊臣秀吉は、様々な政策を推し進めていきます。その中の一つに金貨の鋳造があったのです。

 

世界最大級の金貨

秀吉が作った金貨は「天正長大判」と言われています。何といっても17cm×10cmという大きさが圧巻。現在把握されている金貨の中でも世界一と言われているほどの大きさです。はがきとほぼ同じ大きさとイメージして頂ければ、世界一大きな金貨であることも納得できるでしょう。もちろんこれだけの大きさのため重量もあり、165g程だったとされています。

 

贈答用が主な用途

「天正長大判」はこれだけの大きさのため庶民が普段の買い物で使用することはなく、贈答用として利用されることが多かったようです。例えば当時盛んだった中国との貿易の際に用いられていたとされます。

秀吉は金貨の質と形状を統一しました。このため日本でも貨幣制度が定着し、なおシステムも安定していったのです。「天正長大判」はあまり流通しなかったものの、貨幣システムの進化には大きな役割を担いました。

 

貨幣の全国統一を果たした家康

天下分け目の戦いと言われた関ケ原の戦いを制した家康は、天下統一だけでなく貨幣の統一を進めていきます。そのような中で誕生した金貨が「慶長金銀」です。

 

佐渡金山をベースに鋳造

「慶長金銀」は佐渡金山の金を使って鋳造されました。当時の佐渡金山は金の産出量が日本一。佐渡から対岸の出雲崎に送られ、中山道を通って江戸に運ばれたにです。金貨を鋳造したのは、秀吉の家臣として金貨の鋳造を担当していた後藤庄三郎という人物でした。正三郎は、秀吉と家康という2人の英雄の金貨を作っていたことになります。

 

作る場所を限定

徳川家はその後、金貨だけでなく銀貨や銅貨の鋳造もスタートさせました。金貨や銀貨を作る機関も整備したのです。金貨を作る機関のことは金座と言いました。ちなみに銀貨を作るところを銀座と言います。銀座というと東京の都心部の地名を連想すると思いますが、その通りもともとあの辺りは銀貨を作っていた場所だったのです。

 

まとめ

時の戦国武将たちは、軍資金を確保するためにオリジナルの金貨を作りました。それぞれの個性が感じられます。各々の金貨はインターネットなどにも画像がアップされています。歴史の教科書に登場した英雄はどのような金貨を作っていたのか、興味のある方はチェックしてみてはいかがでしょうか。

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