ダイヤモンドジュエリーが日本でも解禁されたのは明治時代?

現在でも、ダイヤモンドは数多くある宝石の中でも最高級の扱いを受けることが多く、どのような場面でも着用することが可能でしょう。しかし、意外にもダイヤモンドの歴史は古いのです。日本国内でダイヤモンドが注目されるようになったのは明治時代で、多くの庶民の憧れの宝石でした。
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質素倹約をしてもダイヤモンドだけは手に入れ愛した明治天皇
明治天皇は、近代日本の礎を築いた歴史上の非常に重要な人物であります。諸外国の文化を積極的に取り入れ、日本の近代化を推し進めました。多くの庶民に質素倹約を求めるだけでなく、自らも非常に倹約家であったことが知られています。諸外国の皇族や貴族は贅沢三昧の生活をしていましたが、明治天皇は彼らとは全く異なり、自分自身の持ち物などは最後まで使い切っていたと記録されています。筆記用具は必ず最後まで使い切り、靴は底がすり減るだけでなく履くことができなくなるまで使用していたことも、エピソードとして語り継がれています。
しかし、そんな明治天皇でさえもダイヤモンドだけはこよなく愛し、自ら手に入れたかったと言う記録が残っているのです。美しく鮮やかな光を放つ宝石に、清らかさを感じたのでしょう。他のものは我慢をして最後まで使い切っても、ダイヤモンドだけは手に入れることを望みました。その美しさは、清廉潔白な印象と澄み切った光を持ち、多くの人を魅了してきたのです。
明治天皇の影響もありダイヤモンドがティアラや勲章に装飾品に積極的に導入
明治天皇がダイヤモンドをこよなく愛し、自分自身でも手に入れることを望んでいた影響もあり、その後の天皇家では様々な場面でダイヤモンドが登場することになります。天皇家の結婚式では、新たなお妃となる人が装着するティアラには、たくさんのダイヤモンドがあしらわれており、非常に美しい光を放っています。また、ほとんどの紋章にもダイヤモンドが添えられており、天皇家を象徴する宝石となっています。
これは、明治天皇が好んでいたことだけが理由ではないでしょう。その美しさが他の宝石にはない、非常に澄みきったものであることが大きな理由であると考えられています。ダイヤモンドは基本的には無色透明です。しかし光の当たり具合により、様々な美しい輝きを見せてくれます。天皇家とも縁の深いダイヤモンドですが、常に物事を受け入れて、正しい方向へと導いていくことが求められる天皇家を象徴する宝石なのです。その美しさは、多くの人々を魅了するものとなっています。
昭和初期などの古いダイヤモンドでも品質が良ければ高額買取可能
ダイヤモンドは非常に安定度が高い宝石です。古いものであったとしても、保存状態が悪くなければ、その輝きは変わらないと言われています。そのため、昭和初期に加工された古いものであったとしても、状態が良ければ高値で取引されています。
一般的に、貴金属やブランド品などを売却する場合には、それぞれ作られた時期により買取り金額が大きく変化するでしょう。なぜなら、貴金属やブランド品には流行があり、また古い場合には経年変化による様々な部分の劣化などが予測されるため、基本的には古くなるほど価値が下がってしまうものです。しかしダイヤモンドは安定性が高いため、基本的にはその成分が劣化することはありません。表面の状態が悪化することは考えられますが、保存状態で良好であればほとんど劣化が見られないのです。そのため、ダイヤモンドは古いものであったとしても、品質や保存状態が良い場合は、高額での買取りが行われていることが特徴です。
まとめ
ダイヤモンドは、長きにわたり世界中のたくさんの人々を魅了してきた宝石であり、これは日本人も例外ではありません。明治時代、明治天皇が質素倹約な生活をする中でもこよなく愛した宝石でもあります。その美しさに対する愛着は、その後の天皇家にも影響を与え、特別なものとして大切にされています。日本でも長い歴史があり、多くの人に愛されてきた宝石でもあるため、今後もその基本的な価値は下がることはないでしょう。品質の良いものは丁寧に保管することで、長くその価値を維持できます。