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    真珠の養殖を成功させた
    「ミキモト(MIKIMOTO)」

世界で初めて
真珠の養殖を成功させた
「ミキモト(MIKIMOTO)」

世界に誇る日本のジュエラー
「ミキモト(MIKIMOTO)」

その歴史からパールのイメージを持たれがちなミキモトですが、世界ラグジュアリー協会(2011年発表)ジュエリー部門で、日本で唯一トップ10にランクインした世界に誇る日本のハイジュエラーです。特にダイヤモンドジュエリーへのこだわりを持っており、秋篠宮殿下と紀子様のご成婚の際のティアラも、ミキモトの職人によって製作されました。

国際的に統一された評価基準である4Cに、独自基準である輝きのバランスを意味するC(クライテリオン)を加えた5Cを標榜するなど、ダイヤモンドジュエリーの品質においては世界5大ジュエラーに匹敵するといっても過言ではありません。ダイヤモンドの持つ白色や虹色の光と、きらめきの調和を意味するクライテリオンを加えた厳格な5Cを合格したもののみが、人生の門出となるブライダルリングになります。

ミキモトジュエリーのすべてが、大人が身につけるのにふさわしい上品な仕上がりをしています。身につける人に寄り添い続けるように控えめでありながら、凛とした存在感を放っており、ブライダルリングを始めとする特別なジュエリーの中でも他にはない魅力を感じさせます。また時を経ても飽きないスタイルは、母から娘へと世代を超えて受け継げることでしょう。日本のジュエリー業界を一貫してリードしてきた伝統が、数あるブランドの中でもひときわ高い高級感を感じさせる理由となっています。

 

1893年~
初めて真珠の養殖に成功

今でこそ当たり前になった真珠養殖には、創業者である御木本幸吉の存在がありました。真珠は、紀元前1500年頃にはその美しさが知られていて、はっきりとした文献に記されるのはアケメネス朝ペルシャや古代ギリシャや古代ローマであり、あのクレパトラ7世が、酢に溶かして飲んでいたことでも知られています。養殖が成功するまでは、1,000個の貝に1つしか採れないという希少性の高さ、純白の美しい輝きを持つため「人魚の涙」や「月のしずく」とも呼ばれていました。魏志倭人伝には、女王卑弥呼から魏王へ5,000粒の白珠5,000孔(真珠)を送ったとあるため、実に500万個の貝が採集されたことになります。

日本は天然真珠の産地であり、その美しさはマルコポーロによって欧州にまで伝えられるほどでした。19~20世紀にかけてのフランスやイギリスを中心に養殖研究が活発になる中、1893年、世界に先駆け御木本幸吉が実験中のアコヤ貝に半円真珠があるのを発見、これが養殖の第一歩となります。1896年には半円真珠の特許を取得すると、親族らに助力を受けるようになり、その中には真円真珠の発明者の1人である次女の夫、西川藤吉の姿もありました。養殖真珠の成功を確信した御木本幸吉は、1899年には宝石市場への参入を見越し東京市京橋区弥左衛門町に御木本真珠店を設立するなど、着々と準備を進めていきます。

 

1905年~
国内外のジュエリー業界へ参入

御木本幸吉にとって1905年は特別な年となりました。世界に先駆けての真珠養殖の功績が認められ、明治天皇に拝謁する栄誉を獲得、まだまだ発展途上でありながらも「世界中の女性を真珠で飾ってご覧に入れます」と発言し、その後見事に養殖技術を完成させるのでした。1906年には京橋銀座四丁目に御木本真珠店を移転、1917年には西川藤吉の4件の特許が登録され、1918年頃には良質なパールを量産できる体制を確立しました。

ジュエリーの本場であるロンドンの宝石市場に供給を開始する頃になると、天然物を扱う宝石商らの間で反発が起こり排斥運動に発展、フランスでは宝石商から本物と見分けがつかないため、偽物であり詐欺であるという訴訟を起こされます。ミキモトは対抗するため、イギリスのオックスフォード大学のリスター・ジェームソン、フランスのボルドー大学のH・L・ブータンによる科学的な根拠に基づき粘り強く反論していきます。ジュエリー業界参入の決定打となったのが、フランス宝石商との間で継続されていた裁判での勝訴判決でした。天然と養殖には全くの違いがないという画期的な内容は、宝石商らの偽物や詐欺という主張を全面的に否定したのです。この判決は革新的な養殖技術を起因とする真贋論争を集結させると同時に、養殖真珠が宝石として認められた瞬間でもありました。

 

真珠ブランドとして
ミキモトブランドがついに確立

裁判で勝利したミキモトは、真珠をあしらったジュエリーの開発に力を入れます。ただ真珠として見せるだけでなく、ダイヤモンドやサファイア、エメラルドなどのメインストリームにある宝石同様に、女性を美しく飾るという御木本幸吉の思いを実現するかのように新たなモデルを発表します。新聞や広告に加えて各国の職人らの技術の粋を集めた1937年のパリ万国博覧会への出展を計画、趣向を凝らした多機能ジュエリー「矢車」が来場者の注目を集めました。当時流行していたアールデコ様式を採用、真珠を中心にダイヤモンドやサファイア、エメラルドを散りばめるなど、当時の日本のジュエリーの頂点を極めた逸品です。専用ドライバーで組み替えることでブローチや指輪、髪飾りに変化する多機能性は、欧州には存在しない発想でした。博覧会で販売された矢車は長年行方不明になっていましたが、1989年にオークションに出品された後、日本に戻ってきました。この矢車は、ミキモトが宝石ブランドとして決定づけられる重要なマイルストーンとして記憶され続けています。

パリ万国博覧会から先立つこと1911年、優秀な職人をヨーロッパに、ダイヤモンド取引の中心地であったベルギー・アントワープに派遣しました。当時の最先端であるアールデコやアールヌーボーのデザインに加えて、現代のハイジュエリーブランドを支えることとなるプラチナ加工技術を習得、ダイヤモンド研磨機を持ち帰っています。こうして確立されたミキモトの真珠ブランドは、品質を証明するシンボルとなりました。

 

まとめ

安定した品質を持つ宝石用真珠の養殖に世界で初めて成功したことにより、世界ではミキモトパールとして親しまれています。日本のジュエリーの歴史の原点といっても良い存在であるミキモトは、アイデンティティーである真珠ジュエリーに加えて、独自基準のクライテリオンを採用した5Cダイヤモンドを発表するなど、上品で気品のあるアイテムを多く送り出しています。落ち着きのある大人の魅力を感じさせるスタイルは、ミキモトならではの魅力といえるでしょう。

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